スバネケ給水塔(Svaneke water tower)

「スバネケ給水塔」のご紹介

 

美しい建築物と聞いてオーストラリアのシドニーにあるオペラハウスを思い浮かべる人は多いのではないでしょうか。その建物の設計を担当した建築家が独立して間もなく手掛けた建築物は小さなものでしたが、オペラハウスとは違う美しさを持っています。現在は保存すべき建築物となっている、北欧の海に浮かぶ島に必要に迫られて建設されたのが「スバネケ給水塔」です。

「スバネケ給水塔」の設計者

 

「スバネケ給水塔」の設計を担当したのは、デンマークの建築家、ヨーン・ウツソンです。彼は1918年に首都のコペンハーゲンで造船技師の父親の元に生まれ、デンマーク北部の街オールボーで育った彼は、幼少期から父親の仕事に興味を持っていたようです。造船所で人の手と道具が、鉄や鋼などの固い素材を様々な形に作り変えられていく過程を見るのが好きだったと彼は言っていました。そのことは建築家としての根幹の一つになっています。初等教育の頃にはクラスで2番目に成績が悪い子供だったと言っていましたが、それには理由がありました。彼は、文字や文章が理解できない「失読症」でした。会話は普通にできますが、学校の勉強では教科書などが読めないと勉強は進みません。その為に成績が悪かったようです。しかし、そのように普通の子供ができることが困難だった代わりに、彼には人並外れた空間認識能力が備わっていました。例えば、こんな家に住みたいと考えた時には、頭の中にしっかりとした形が浮かんでいました。現代の便利な世の中に欠かせない様々な物を生み出した、セルビア人のニコラ・テスラも同様に動作を考えただけで、その機械の形が頭に浮かんでいたと伝えられています。ヨーン・ウツソンは、このような物を建てたいと色々な情報を聞くと、すぐにその建築物の形が頭に浮かび、すぐに簡単な模型で示していました。そのような能力を持って生まれた彼は、建築家という職業に就けたのは神様からの贈り物だと言っていて、90歳でこの世を去るまで建築家として活躍していました。

「スバネケ給水塔」の所在地

 

北欧には地中海のように陸地に囲まれた海があります。大きく二つに分けられている海で、北部をボスニア海、南部をバルト海と呼んでいます。バルト海の南部に浮かぶボーンホルム島はデンマークの本土や他の島々から一番離れています。「岩の島」や「太陽の島」とも呼ばれる四角く見える島です。この島には古来より人が暮らしていた痕跡がありますが、バイキングの時代には1人の王が支配していたと伝えられています。「スバネケ給水塔」は、島の北東部にあるスバケネと言う小さな町に建設されました。この町はデンマークで一番東の端の自治体です。古くから交易の中継点として港が整備され、その周りに商人の大きな屋敷が建てられました。赤いレンガ色の屋根と黄色い壁のその建築物群は、取り壊されることもなく、改築もされていない当時の姿そのままで現在も町の通りに建っています。保存状態の良いその家々は、ヨーロッパの保存すべき建築遺産として保護されいて、観光の町として人気があります。町の沿岸には複数の港があり、漁港としての役割も果たしています。古くからニシン漁が盛んで、ニシンの燻製が町の特産品となっています。また、国で初めての地ビールの醸造所が開業しています。

 

「スバネケ給水塔」の特徴

 

「スバネケ給水塔」は三角錐の構造物です。とてもシンプルな形ですが、給水塔を建設する話を聞いた設計者は、すぐにこの形を思いついたそうです。海に面している町であり、古くから港町としての役割があったことからこの形が思い浮かんだと言うことです。船に安全な道筋を教える波間に浮かぶブイや灯台を模した形です。最大貯水量が12万ℓあり、高さが30m弱の三角錐で、地面からおよそ半分の高さまでは3本の柱が給水塔を支えています。給水塔の底の中央部にもう1本の水が通る柱があって、その周りを取り巻くように螺旋階段が取り付けられています。風雨に耐えられるように強化されたコンクリート製で、給水塔の部分の3面の外壁は木材の板で覆われています。最初は保温のためにアスベストの板で覆われる計画でしたが、高価であったために木材に変更されました。デンマーク産のトウヒの板が使用されたことで、後にアスベストの危険性が確認されたことと、修理が容易になった事が良い結果となりました。1952年に「スバネケ給水塔」が完成するまで、この町には水道が通っていませんでした。デンマークの自治体で最後に上水道が通るまでは共同や個人の井戸に頼っていました。設計者は、この給水塔に水をくみ上げるためのポンプ場も同時期に設計しています。36年間地域の人々に水を供給してきた「スバネケ給水塔」は1988年にその役目を終えています。その後も取り壊されることもなく、1990年にはポンプ場と共に後世に残す価値のある建築物として保護されるように国から指定されました。

 

「スバネケ給水塔」のまとめ

 

スバケネの町に水道を通す計画が持ち上がり、給水塔を建設することが決まった時、当時の首長が「きちんとした建築家に依頼する」事を希望しました。工事の相談を受けていた人物がヨーン・ウツソンと同級生であり、何度か一緒に仕事をしていたことから、その話をしました。その時のスケッチを見た首長は即座にヨーン・ウツソンに依頼しました。シドニーのオペラハウスで一躍有名になったヨーン・ウツソンですが、故国のデンマークには彼の作品は少なく、その中の2つの建築物がこの町にあることは町の人々の自慢となっています。

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