ソニーセンター(Sony Center)

「ソニーセンター」のご紹介

 

大都市の中心部の再開発は様々な問題が起こります。しかし、現代の新たな街づくりには色々な夢や試みも行える良い点もあります。20世紀も終わりに差し掛かった頃に、ドイツの首都ベルリンの中心地の1部を再開発する計画が決まった時には、世界の著名な建築家が腕を振るう機会がありました。最先端の技術と素材が使われ、新しい発想を実現しています。そのような構想の多くの建築物の1つ「ソニーセンター」は、複数の建物で1つの街を作っているような場所を提供しています。

「ソニーセンター」の設計者

 

「ソニーセンター」を手掛けたのは、ドイツ人の建築家ヘルムート・ヤーンです。1940年にドイツ南部のツィルンドルフという街で教師の父の元に生まれました。当時は第二次世界大戦が始まったころで、彼は子供の時に戦争で破壊された町が再建されている所を多く見て育ちました。ミュンヘンの大学で建築を学んだ彼は、卒業して1年間はドイツ人建築家の元で実践を経験しました。その後、国際的な組織の奨学金を得て、後年彼が第2の故郷と言っていたアメリカのシカゴにある大学でアメリカ人建築家の元、更に研究を重ねました。大学で修士号を取得した後にシカゴの建築事務所に入り、数年後には会社の重要な役職に就きました。事務所の開設者が一線を退いた後は、彼がその事務所を引き継いでいます。彼は自分と同じく、ドイツで生まれアメリカで活躍したミース・ファン・デル・ローエが作り出していたミニマムで飾り気のないモダニズムの建築物に惹かれていましたが、自由な発想で作品を生み出したいと考え、ポストモダニズムから一歩進んだ遊び心も含めた建物を作り出すようになりました。大規模な企画を手掛けることがよくありましたが、個性的で気軽な雰囲気の建物が多く、都市に新しい風景を加えたいと思っていました。高齢の域に達しても変化し続けた彼は、2021年にシカゴ郊外の自宅付近で交通事故によって亡くなっています。

「ソニーセンター」の所在地

 

「ソニーセンター」は、ドイツ連邦共和国の首都ベルリンの中心部にあるポツダム広場に建設されています。ベルリンの街は18から19世紀頃にかけて交易品に対する物品税を徴取する目的で、市内を囲む城壁のような壁で取り囲んでいました。市外から訪れる人々は、いわゆる税関のような働きをする複数ある門を通るようになっていました。そのような役割のある門の1つがポツダム門です。当時ベルリン市内は今ほど広くなく、市の中心部から西のポツダム門付近は郊外でした。19世紀の中頃に鉄道の駅が作られ、駅の前に広場が設けられ、次第に多くの企業や大規模な店舗が建設されるようになりました。そして、19世紀の終わり頃にはベルリンで最初の電気による街灯も点けられています。次第に繁華街の様相をしてきたポツダム広場周辺には、大きなホテルや芸術家の集まるカフェなどが増えてきました。第2次世界大戦が終わってしばらくの、1961年にベルリン市内を分断するように壁が作られた時には、この広場も分断されました。28年後の1989年に壁が取り壊されたあくる年には、この広場で国が再び1つになった事を祝うコンサートが行われました。

 

「ソニーセンター」の特徴

 

「ソニーセンター」の依頼主は日本の電機メーカー「SONY」です。全部で7つの建物がある複合施設で、ソニーのヨーロッパ本社と商業施設、住宅などがあります。1番の特徴は、三角形の敷地を取り囲むように建てられている建物群を、1つにまとめるように覆う巨大な日傘のような構造物です。敷地の中央部は広い空間になっていて、ポツダム広場のすぐ北側にある公園と同じように市民に憩いの場を提供しています。傘が取り付けられた理由はいくつかあります。まず、屋内と屋外の境界をあいまいにして、街の続きのような空間を作り出すことが挙げられます。次に、ポツダム広場の再開発を企画した自治体が、天候に左右されず、環境にも負荷をかけない市民が自由に行き来できる場所にすることを望んだ結果です。周りをそれぞれ独立した建物に囲まれていて、人工的な空調は行われていません。傘は楕円形をしていて、最高点の高さが67mで傘の径は1番長い所で102mあります。業務用に使われるテントの素材に似た生地と、鋼鉄の枠にはめ込まれたガラスで構成されていて、中心部には42mのキングポストと呼ばれる柱が下がり、ワイヤーで傘全体を支えています。このような構造なので下からの柱は1本もありません。傘の裾は複数の建物の上に乗せるような形になっています。設計者は傘の形を「富士山」に例えていて、横から見る形は、正に雪を被った富士山そのものの姿に見えます。

「ソニーセンター」のまとめ

 

富士山の形は美しい円錐形をしているように見えますが、実際は北北西から南南東が長い楕円錐をしています。「ソニーセンター」の上にある傘は、その形を忠実に再現しているようにも見えます。設計者は、日本の富士山信仰を始めとする、神様が山に居ると言う古くからの信仰を例にあげて、「ベルリンには山が無いから、これを作った」と言っています。また、自然と人工の光はデザインの根幹にあるものだと言っている、その言葉を実体化した建築物が「ソニーセンター」ではないでしょうか。

 

 

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