オルドス博物館(Ordos Museum)

「オルドス博物館」のご紹介

 

 

 

 

 

 

 

 

博物館は、大規模な物から個人所蔵の物を展示するものまで様々な運営の方法があります。しかし、どんな博物館でも同じことが言えます。それは、あらゆる人に色々な事物を知ってもらうために展示していることです。「オルドス博物館」はモンゴルの歴史と文化を伝えるために作られました。

 

「オルドス博物館」の設計者

MAD architects(アーキテクツ、建設する者と言う意味)は中国の若手建築家のグループです。MADは、馬 岩松(マ・ヤンソン)がロンドンで日本人の早野陽介(はやのようすけ)と出会ったことで設立された建築事務所です。その後、中国人の党 群(ダン・チュン)が加わり、この三名が主要なメンバーとして運営されています。

彼らに加えて、十数カ国の若手建築家やデザイナーが多く参加していて、現在は中国に二つ、アメリカとイタリアにも事務所を構えています。彼らの基本概念は「山水都市」と言うもので、自然と共存できる都市作りを目指しています。これは、古くから中国をはじめ、アジアでの自然環境を尊重したうえでの街づくりの考え方に通じるものです。

その為、一見すると奇抜なデザインに見える建築物も、俯瞰的に見れば周りの景色に溶け込むような作りになっています。設立当初は中国や日本などアジアでの活躍が多かったのですが、今では世界中のプロジェクトに参加しています。

 

左より馬岩松(マー・ヤンソン)、党群(ダン・チュン)、早野洋介(日本人)

「オルドス博物館」の所在地

中華人民共和国の内モンゴル自治区にあるオルドス市に、この博物館は建っています。世界で4番目に広いゴビ砂漠の南部に接する、砂漠と草原が広がる地域です。

この街の名称は、15世紀にモンゴルの遊牧民の「オルドス」と言う一族が移住してきたことから付けられました。「オルドス」とは、宮廷を意味する現地の言葉で、モンゴル帝国を作ったチンギス・ハーンに因んでいます。元々は遊牧で生計を立て、カシミアに代表される毛織物や糸を生産していました。しかし、多様な鉱物などの膨大な量の地下資源が見つかったことで、この地の人々の暮らしは一転しました。

決して裕福とは言えなかったこの地域に、一気に大金が舞い込むようになりました。高級マンションや広い道路などが整備され、多くの人が流入してきました。

しかし、石炭バブルの崩壊と共に人口も減って、住む人のいない見た目は豪華な建物が残されています。皮肉なことに、世界でも最大のゴーストタウンと言われた事が、一部の人達の興味をそそっているようです。現在はイベントの誘致などで地域活性を試みています。

 

「オルドス博物館」の特徴

「オルドス博物館」は、紀元前千数百年は遡ることのできる、モンゴルの歴史と文化を伝えるために作られた博物館で、砂漠の中に巨大な岩を置いたように見える建築物です。他にも「砂漠に降りた宇宙船」や「じゃがいも」、「粘土の塊」など、様々な描写がされています。とにかく大きな建物で、どっしりとしたブロンズ色の巨石の様ですが、気の遠くなるような年月を経た小石のような、不規則で緩やかな曲線がやわらかな雰囲気を出しています。そのことが周囲の風景に溶け込むような外観になっています。

外観は、ブロンズのような色合いの金属パネルで覆われていますが、屋内は白い壁や温もりを感じさせる木材が使われています。屋内の柔らかく白い曲線を持たせた壁は、外観の銅色をしたカーブと協調して見えます。屋内は垂直面も水平面にも広い空間が広がり、白を基調とした涼やかな感じを出しています。この建物は一見すると、大きな天窓が一つあるだけで、他には窓が無いように見えますが、あちこちから自然光を採光出来るようになっています。また、随所に太陽光パネルが設置されていて、環境に負担をかけない建造物としても評価されています。

 

 

 

「オルドス博物館」のまとめ

昔なら砂漠はなにも生み出さない、生きてゆくには過酷な場所とされていました。しかし、世界でも有数のゴビ砂漠に出来た近未来的な都市は、砂漠の新たな姿になってきています。そこにある「オルドス博物館」は、時代の移り変わりに伴って忘れられてしまわないように、大切な事柄を保管する役目を担っていくことでしょう。

余談ですが、世界一長いSF小説である「宇宙英雄ペリー・ローダン」の中で設定されている地球の首都は、ゴビ砂漠に作られました。この小説の都市は、オルドス市の様な景観だったのかもしれません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。