フィルミニのユニテ・ダビタシオン(Filmini’s Unite Davidion)

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「フィルミニのユニテ・ダビタシオン」のご紹介

第二次世界大戦の後、都市や街を再建するために世界中で様々な建物が建てられました。その建設に携わるために多くの人々が邁進してきました。
必然的にたくさんの住居が求められるようになり、大規模な集合住宅も作られました。フィルミニにある「ユニテ・ダビタシオン」もそのひとつです。

「フィルミニのユニテ・ダビタシオン」の設計者

ル・コルビュジエは1887年スイスで生まれ、1965年78歳で亡くなる直前まで近代建築の発展に大きく寄与した人物です。
彼はとても視力が弱かったために父親の後を継ぐことを断念せざるを得なかったのですが、もし目が良かったら建築界の発展は遅れたのではないでしょうか。
近代建築の進化に大きく貢献してきた彼の死後、ほぼ半世紀が過ぎた頃に彼の手掛けた多くの建築物が世界遺産に認定されました。
ヨーロッパの4か国、インド、アルゼンチンそして日本にある合計17の建築物がル・コルビュジエの作品群として登録されたのです。
ひとつの世界遺産が複数の大陸を跨いで登録されるのは初めてのことでした。
このことは、近代建築の巨匠と謳われた彼の偉業を称える称号のようなものではないでしょうか。

「フィルミニのユニテ・ダビタシオン」の所在地

フランス共和国随一の経済都市リヨンから南西に約100km離れたフィルミニと言う小さな町に「ユニテ・ダビタシオン」があります。
18世紀から19世紀にかけて起こったヨーロッパ産業革命の頃に開かれた鉱山周辺のベッドタウンの一つで、多くの人々が暮らす町として成長してきました。
この町も戦後の復興期にたくさんの建物が建てられました。
ただし、闇雲に建物を作るのではなく町の景観や環境に配慮したものを建設するようにしたのです。
代表的なのは「フェルミニ=ヴェール」と呼ばれる緑化を守る都市計画でした。
周辺の森や緑地を守るために、建築物は水平方向に向かわず極力垂直方向に大きく建設されるようになりました。
近代化と環境を守る町として再建された地域です。

「フィルミニのユニテ・ダビタシオン」の特徴

いくつか建設された「ユニテ・ダビタシオン」と同様、ピロティ方式が取り入れられています。
ここでは柱と言うより平らな壁の様な形状の柱が多く使われ、高床式のようになっています。
ピロティ部分の一部には、「モデュロール」の説明をする様な片手を上げた人の形をした彫り物が施されています。
コンクリート製なので基本的にはモノトーンの外観ですが、バルコニーなどに赤や青のフランス国旗と同じ色合いが使われているので、洗練されたハイセンスさが見られます。
1戸がワンルームから3階分もある住宅まで、広さが6種類もあるので、外から見る窓がモザイクのように見えます。
最上階は幼稚園として利用されていました。ここには子供サイズの「モデュロール」が採用され、トイレや手洗い場など子供が使う場所は他の住宅とは違う大きさになっています。
建設当初は、屋上に庭園や水遊びのできる小さなプールも設置されていました。

「フィルミニのユニテ・ダビタシオン」のまとめ

緑あふれる森のそばの小高い場所に建っている「ユニテ・ダビタシオン」は、とても見晴らしが良い部屋ばかりです。
20階建てで400戸以上の住宅があり、現在でも1,000人以上の人々が暮らしています。
様々な法律の関係で幼稚園は閉鎖されましたが、この建物はガイドがあれば見学もできます。
小さな町ですが、周辺には設計者であるル・コルビュジエが手がけた複数の建築物があり、世界中から見学に訪れる人が絶えません。