ホースシューエステート(Horseshoe Estate)

「ホースシューエステート」のご紹介

 

およそ100年前に建設されたにも関わらず、現在も人々が暮らしている集合住宅がドイツの首都ベルリンに建っています。馬蹄形の建物を中心として周囲にもたくさんの集合住宅が建設されました。建物の配置が美しく、それぞれの建物の周囲には多くの緑地が作られていて住み心地のよさそうな1つの町が形成されています。「ホースシューエステート」は、幸せの印として表される馬蹄の形をしています。

「ホースシューエステート」の設計者

 

「ホースシューエステート」を手掛けたのは、ドイツ人のブルーノ・タウト(ブルーノ・ジュリアス・フロリアン・タウト)です。1880年に、第二次世界大戦までは東プロイセンの首都だったケーニヒスベルグで商人の息子として生まれた彼は、中等教育を終えた後に建設会社に入社して、工事現場で見習いとして働いていました。ケーニヒスベルクの建築専門学校に進学した時も父親の商売が立ち行かなくなったことから、学資の為に見習いを続けていました。大学を卒業した後は故郷を離れて、国内の様々な街の建築事務所に席を置き、実務経験を重ねました。その後、1909年にドイツの建築家と共に建築事務所を設立し、後に彼の弟も入社しています。事務所を開設して数年後には大きな企画を依頼される事も増えて、大規模な彼の作品が世に出されるようになりました。第二次世界大戦が勃発する少し前には世界情勢の不安もあり、反戦を唱えていたこともあって命の危険を感じた彼は、亡命先に日本を選びました。3年半の日本滞在時には、建築と関わる機会が無く、トルコの大学で建築学の教授として招待されたことから日本を離れ、トルコに渡りました。彼の作品は、当時としては斬新で色彩鮮やかな物が多く作られました。喘息の持病を持っていた彼は、トルコに渡って間もなくの1938年に大きな発作を起こして58歳で波乱に満ちた短い人生を終えています。

「ホースシューエステート」の所在地

 

「ホースシューエステート」はドイツ連邦共和国の首都ベルリンのブリッツ地区にあります。現在のブリッツ地区は、第二次世界大戦後にベルリンが東西に分割された時のアメリカ合衆国が占領していた場所の1部です。この地区は、東西ベルリンの境界線になっていたテルトー運河に沿っていて、当初は対岸に有刺鉄線が張り巡らされていたようですが、1961年にベルリンの壁が築かれました。14世紀の頃に初めてブリッツの名前が文書に記された時には小さな農村でしたが、20世紀に入って間もなく、首都ベルリンを拡大することになった時、ブリッツも首都圏の1部に入りました。その頃にはベルリンの人口が爆発的に増え、住宅不足が深刻な状態にまで達していて、市は住宅用の税金を資金として公的補助のある集合住宅を造る計画を立てました。ベルリンの中心部から南東に当たるこの地区は、それ以来ベッドタウンとして人口の多い地区となっています。小さな農村でしたが歴史のある地区で、村の教会や多くの土地を所有していた貴族の邸宅であるブリッツ城、150年以上も前からある粉ひきの為のオランダ式風車小屋など多くの古い建物も残されています。公園や緑地も多く、一部の緑地には桜並木があって、毎年ブリッツァー ツリー ブロッサムと言う桜まつりが催されています。

 

「ホースシューエステート」の特徴

 

「ホースシューエステート」は名前の通り、馬蹄形になった集合住宅を中心とした多くの集合住宅が建つ、いわゆる団地のような場所で1925年から1931年にかけて建設されました。建物が馬蹄形になった理由は、建設用地の真ん中に氷河期を起源とした小さな池が馬蹄の形であったためです。また、ドイツでは、馬の蹄を保護するために取り付けられる蹄鉄(ていてつ)が古くから幸福の象徴とされていることも、デザインを行う上で考えられたことです。湾曲した全長350mの3階建てで、中央の池を取り囲むように中庭が作られ、更にその庭を囲むように建物が建っています。中庭はこの住宅に住む人々全員が共有している場所で、以前の田園地帯を彷彿とさせる風景を作り出し、憩いの場であり、遊びの場でもあります。多くの人が暮らす部屋がたくさんありますが、設計者のブルーノ・タウトは各部屋のドアや窓枠に様々な色を付けました。大きさは同じで、色やデザインに変化をつけて、同じような部屋でも個性が現れるようになっています。また、建物そのものも色彩が華やかな外観となっています。白い壁に柱部分や、テラスを囲む所には赤いレンガが使われ、テラスの奥のそれぞれの部屋の外壁は青い色が使われています。屋内の設備も工夫が凝らされていて、例えば、台所の窓の下に小さな穴あきの金属板が埋め込また棚が取り付けられ、外気の冷たい空気があたって食材を保存できるような仕掛けが作られています。建設当時は一般家庭に冷蔵庫はなかったので、少しでも食材の保存時間を長くできればと考えられました。他にも、石炭を燃料としたストーブは暖色のタイルで覆われて、室内を視覚的にも暖かくできるようにされています。

「ホースシューエステート」のまとめ

 

現代の建築物にも影響を与え続けていると言われる「ホースシューエステート(ドイツ語でフーファイズン ズィードルング)」は、2,000戸近い住宅と7,000人以上が暮らしているまま2008年に「ベルリン モダニズム住宅団地」として世界遺産に登録されました。現在は、様々な新しい家電なども取り入れられていて、当時の設備はほとんど取り外されていますが、100年前の暮らしそのままの体験ができる宿泊できる部屋も用意されています。

 

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