神戸フィッシュダンス(Kobe Fish Dance)

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「神戸フィッシュダンス」のご紹介

江戸時代の終わりに日本は西欧諸国から開国を迫られました。その当時,いくつかの規模の大きな港が外国船の受け入れをするために開港することになりました。神戸港もその一つで、開港した直後に明治維新を迎えました。開港120年を記念した行事の一つとして「神戸フィッシュダンス」は作られました。

「神戸フィッシュダンス」の設計者

フランク・オーウェン・ゲーリーは世界的に有名な建築家です。彼の居住するアメリカ合衆国には多くの作品と言える建造物があります。ヨーロッパにもいくつかの建築物がありますが、日本にはたった一つしか彼の作品はありません。しかし、この作品は彼の想像力の源に通ずる作品と言えます。彼は小さい頃から魚を眺めることが好きで、特に鯉が泳ぐ姿を気に入っていました。そして、彼の美術センスの要の一つとなったのが、浮世絵です。その中でも特に気に入っているのが、歌川広重が描いていた泳ぐ鯉や鯉のぼりの絵です。また、京都の神社仏閣にも興味を示しています。日本の芸術が、多少なりとも彼に影響を与えて、素晴らしい建築物が出来上がってきたのではないでしょうか。もう一つ日本に関する彼のエピソードがあります。建築家のノーベル賞と言われるプリッカー賞を彼が受賞した時の授与式は奈良で行われました。

「神戸フィッシュダンス」の所在地

1868年に開港した神戸港の第三波止場のすぐ近くにアメリカ領事館がありました。その為、この波止場はメリケン波止場と呼ばれるようになりました。1987年に開港120年を記念して大規模な改修工事が行われ、メリケンパークと姿を変えました。そこは、多くの市民の憩いの場であり、観光名所にもなりました。しかし、1995年未曽有の大災害がこの地を襲い、広い地域で大きな被害が出ました。メリケンパークもかなりの被害が出ましたが、その一部をわざわざ復旧しないでそのまま残した部分があります。災害の大きさを後世に伝えるため、崩れた岸壁などがメモリアルパークとして残され周辺が整備されました。2017年開港150年を迎え、博物館や資料館など、新たに整備されたところも含めて多くのオブジェや特徴的な建造物が都市型の港の美しさを見せています。

「神戸フィッシュダンス」の特徴

鯉は滝を上ることが出来れば龍になれると言う言い伝えがあります。正に、滝を上ろうとするような躍動感のある高さ22mの巨大な鯉のオブジェです。鉄の骨組みが1,000枚以上の二重にした金網で覆われています。腐食を抑えるために亜鉛メッキが施されていましたが、海の傍に設置してある為に潮風などによって短期間で錆が出てしまいました。その錆を抑えるために、管理していた団体が錆止めの為の塗料でピンク色にしてしまいました。それを知ったフランク・オーウェン・ゲーリーや他の建築家などから大変な抗議を受け、元の銀色に塗り替えたと言うエピソードがあります。遠目に見るとグレーの鯉に見えますが、近くで見ると細目の金網から空などが透けて見えます。透けて見えることを利用して、夜間は内側からライトアップされています。季節や行事で赤や青などの照明で照らされて、その都度印象が変わって見えます。

「神戸フィッシュダンス」のまとめ

「神戸フィッシュダンス」は、今は暗渠になってしまい姿を消してしまった鯉川と言う川が海にそそぐ場所に設置してあります。開港120年を記念して魚のオブジェを作ってほしいとの依頼で、「神戸フィッシュダンス」は作製されました。海からの風を受け再び赤錆が出ていますが、ウロコを際立たせているようになっていて、味のある雰囲気になっています。もしかしたらそれは、フランク・オーウェン・ゲーリーの計算に入っていたのかもしれません。