グランダルシュ(la Grande Arche)

「グランダルシュ」のご紹介

 

 

 

 

 

 

 

 

フランスのパリには、「歴史軸(れきしじく)」と呼ばれる歴史的な建造物や記念碑、道路などが一直線に並ぶ場所があります。
東は19世紀初頭に建造されたカルーゼル凱旋門から、西は20世紀後半に建てられた「グランダルシュ」までの約8kmに及びます。

「グランダルシュ」の設計者

「グランダルシュ」の設計をしたデンマーク人のヨハン・オットー・フォン・スプレッケルセンは、1929年にデンマークのユトランド半島の中央部に位置するヴィボーと言う町で生まれました。この町は「聖なる丘」と言う意味を持ち、昔から敬虔なクリスチャンが多く住んでいます。彼は、デンマーク最古と言われる教育機関である教会付属の学校を卒業後、王立の美術学校で建築を学びました。彼の作品の数はあまり多くはありませんが、生まれた土地柄もあり、デンマーク国内に建ついくつかの教会を設計しています。外観は、飾り気のないシンプルな教会で、レンガや木材など自然の素材を好んで使用していました。コンペディションと呼ばれる建築設計の競技会で「グランダルシュ」の設計を勝ち取り、この建造物が彼の名を一躍有名にしました。しかし、着工された翌年には建築を監督する立場を辞退し、更にその翌年には「グランダルシュ」が完成した姿を見ることなく57歳の若さでこの世を去りました。彼の後を継いだフランスの建築家の手により、彼の死後2年が経過して「グランダルシュ」は完成しました。

「グランダルシュ」の所在地

フランス共和国の首都パリの西隣に位置する自治体、ラ・デファンスにある高層ビルの一つが「グランダルシュ」です。フランスの副都心としての役割を持たせるために都市再開発が行われている地区です。パリにはルーブル宮殿から凱旋門へと続く歴史軸と呼ばれる道があって、その延長線上に位置しているのが、ラ・デファンス地区です。パリには歴史的な伝統のある建築物が多く残されていることから、いわゆる摩天楼のような超高層ビル群を作ることはしていません。代わりに、隣の自治体であるラ・デファンスに商業的な高層ビルを作る計画を立てるようになりました。歴史軸のパリの方から見るとたくさんのビルが立ち並ぶのが見られます。ここにはオフィスビルがたくさん建てられ、多くのフランスの企業が本社を置いています。また、巨大なショッピングモールなどもあり、フランス中心部の近代的な顔となっています。

「グランダルシュ」の特徴

「グランダルシュ」は、新凱旋門とも呼ばれている中空の箱の様な形をしています。正式名称「la Grande Arche de la Fraternite(友愛の大アーチ)」と言いますが、地元の人々は「ラ・デファンスの門」と呼んでいます。35階建てで高さと幅、奥行きがほぼ同じ長さの正立方体(または、正六面体)に見える建物ですが、真ん中は空洞になっています。正八胞体(せいはちほうたい)または、四次元超立方体と言う形で、歴史軸から見ると中空に向かって絵画の額縁のような形になっています。空洞の部分は、ノートルダム大聖堂がそのまま入るくらい大きい空間になっています。内外の側面はガラス張りになっていて、その他の外壁はイタリアの有名な白い大理石、ビアンコカララが使われています。ビアンコカララ大理石は古来より使われている美しい大理石で、この石材が使われている為に輝くような白い建物となっています。中空の部分には日よけのテントが取り付けられていて、ランダムなテントの形と真四角のビルが絶妙なバランスを作り出しています。また、上部のフロアへ直通のエレベーターが取り付けられています。人が乗る籠と呼ばれる箱が透明で、建物の上部に吸い込まれるような感覚を味わえるようです。歴史軸のパリの方から見ると、左右に高層ビルを従えた四角の門が見えます。シャンゼリゼの大きな通りから見た遠景の「グランダルシュ」は、正に未来への門と言っても過言ではない風景となっています。

 

 

 

 

 

「グランダルシュ」のまとめ

「グランダルシュ」は1989年に、フランス革命の時に採択された「人権宣言」から200年を記念して建造されました。直訳すると「大きなアーチ」ですが、多くの別名もあります。世界への窓と言う名もあり、竣工した年にはサミットの会場にもなりました。「グランダルシュ」は、ゴシック建築の宝庫とも言える都のパリから、世界でも有数の大都市のパリへと時間軸に沿って移り変わってきた街の一つの象徴となっているのではないでしょうか。

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