ミヨー高速道路高架橋(Millau Viaduct)

「ミヨー高速道路高架橋」のご紹介

 

世界で初めての自動車が製造されたのは、諸説ありますが18世紀の中頃と言う説が有力です。自動車が増えるにつれて道路もそれに合わせた企画の道が整備され、自動車専用の道路も作られるようになりました。そして世界初の自動車専用道路は、20世紀に入ったばかりの頃のアメリカで建設されました。以来、世界中でたくさんの高速道路が建設されています。近年ではデザイン性の高い道も作られていて、特に橋は芸術品と言ってもよい美しさを備えたものがあります。フランスの山間に建設された「ミヨー高速道路高架橋」は、周囲の風景と共に1枚の絵画のような美しさがあります。

「ミヨー高速道路高架橋」の設計者

 

「ミヨー高速道路高架橋」を手掛けたのはイギリスの建築家ノーマン・フォスター卿(テムズバンクのフォスター男爵、ノーマン・ロバート・フォスター)です。1935年にイングランド中部の小さな町で生まれ、イギリスとアメリカの大学で建築を学びました。卒業後に大学で知り合った4人の仲間と共に「チーム4」と名付けた建築事務所を開いたのが、1963年のことです。ただし、建築家として国の正式な資格を有していたのは、ノーマン・フォスターの最初の妻となったウェンディ・チーズマン1人だけでした。残る3人は経験を積みながら国家資格を獲得しています。4年後の1967年に意見の相違からチーム4は解散しました。直後に後の「フォスター+パートナーズ」の前身にあたる「フォスター・アソシエイツ」を妻のウェンディ・アン・フォスターと共に創設していますが、彼女はその12年後に病気で亡くなっています。事務所を開いてからの依頼はオフィスビルなど、商業や工業に関する建物が多かったようです。当時は装飾の少ないモダニズム建築が流行していましたが、彼の作り出す建築物は単なるモダニズムではなく、最新の技術を多用したハイテクなモダニズムと言われていました。また、現在では当たり前のように言われている持続可能な建築物として、エネルギー消費を抑えたり、建物の緑化なども行っていました。数々の功績が認められ、様々な賞を受賞している彼は、高齢の域になっても第一線で活躍しています。

「ミヨー高速道路高架橋」の所在地

 

フランス共和国の山間部に「ミヨー高速道路高架橋」が架けられています。ミヨーは、フランス南部の人口2万人強で、北から流れるタルン川に東から流れてくるドルビー川が合流して、渓谷を作っている所に町があります。町の西側を走る高速道路の橋は、タルン渓谷をまたぐように架けられています。地中海までは直線距離でおよそ100kmの内陸地で、国の南半分を占める中央高地の南端に位置しています。気候は冷涼ですが、冬季でも氷点下を大きく下回ることは少ないようです。石灰質の地質でカルスト台地を形成していることから、特徴的な生態系を育んでいます。特に植物は湿度の少ない地盤でも育つものが多く見られ、2,000種以上の植物が確認されています。大型の肉食獣は居ませんが動物相も豊かで、鹿やイノシシの他に多種の小動物が生息しています。鳥類はタカやハヤブサなどの猛禽類が生息していて、豊かな動物相があることを示しています。このような生物の多様性を守るために、この地域は20世紀の終わりころに制定された国で3番目に広い「グラン・コース地域自然公園」に含まれています。また、ヨーロッパ各国で取り決められている、多様な野生生物を保護するための「ナチュラ2000」にも指定されています。

 

「ミヨー高速道路高架橋」の特徴

 

世界一高い橋と謳われる橋が「ミヨー高速道路高架橋」です。地上から一番高くなる橋脚の尖塔は、フランスのシンボルタワーとして有名なエッフェル塔より少し高い343mです。道路面になる橋の床部分からは、地上まで最大値で270mあり、橋の全長は2,460mです。7本の橋脚からそれぞれ11対のケーブルで橋桁を支える斜張橋(しゃちょうきょう)で、一般的には吊り橋の一種と言われています。鉄骨製の橋桁は、重量を減らす目的もあって中空になっていて、橋脚に直接繋がっている部分が一番厚みがあり、端に行くに従って薄くなっています。橋脚はコンクリート製で、高さがあり、地形の複雑さから起こる風にも耐えるような形状になっています。単純な1本の柱ではなく、平面で見ると少し内側に窪められた2つの柱で1つの橋脚が構成されています。橋脚を垂直に作るためにGPSやレーザーが利用されています。また、風の影響を調べるために正確な縮尺の模型を使った風洞実験も行われています。橋は南北に渡っていて標高差が70m以上あるため、距離を考えると長い坂道になってしまいます。直線にしてしまうとドライバーに精神的負荷がかかると考えて、半径20kmのゆるやかなカーブを描くように建設されています。橋の白い色とデザインは、建設された渓谷の景観を壊さないようにと考慮された結果です。

 

「ミヨー高速道路高架橋」のまとめ

 

「ミヨー高速道路高架橋」が建設されるまでは、タルン渓谷を通過するために高低差が約300mあるつづら折りの道を下り、ミヨーの町を通って再び急カーブの多い道を登らなくてはいけませんでした。観光シーズンにはひどい渋滞も起こっていたことから、この橋を建設することになりました。規模の大きい工事で、携わった人は延べ人数で1,000人近くになり、大きな事故もなくわずか3年でこの美しい橋は完成しました。この地域特有の地形とタルン川が流れていることから、早朝に霧が発生することも多く、雲海を渡る幻想的な風景も作り出す「ミヨー高速道路高架橋」は、この渓谷に新たな景観を加えています。

 

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