ヴィトラ消防署(Vitra Fire Department)

「ヴィトラ消防署」のご紹介

 

建築界の女王と言われたザハ・ハディッドは数々の異名を持っています。その中の一つで「曲線の女王」と謳われていますが、そんな彼女の初めて実現した建築物は鋭いイメージのある建物でした。「ヴィトラ消防署」は、曲線とは程遠い直線的で力強い雰囲気の建物です。

「ヴィトラ消防署」の設計者

 

「ヴィトラ消防署」のデザイン、設計を担当したのは1950年にイラクのバグダッドで生まれたザハ・ハディッドです。彼女は実業家で政治家の父の元に生まれ、両親が教育熱心だったので幼少のころから良質な教育を受けて育ちました。10代の初めに父親に連れられて訪れた、世界最古の文明と言われているシュメールの遺跡を見た時に、漠然とした建築に対する思いが浮かび上がってきたと彼女は言っていました。イラクの情勢が不安定になった頃、父親が政治家だったこともあって、一家で国を出てイギリスに渡りました。イギリスでは有名な歴史ある建築専門の学校で本格的に建築を学びましたが、多数の教師が彼女を優秀と認めていました。そこでは様々な国籍の著名な建築家が教鞭を取っていて、実務を兼ねた実りのある授業が行われています。学校を卒業してから、教師の1人であったオランダ人の建築家が運営していたロンドンの事務所に入り、3年ほど実務を経験した後の1980年に独立してロンドンに事務所を開設しました。その間に彼女はイギリスの国籍を取得しています。数々の功績と話題に尽きないザハ・ハディッドでしたが、2016年に気管支炎の治療のために入院していたアメリカの病院で、心筋梗塞が原因で亡くなっています。

「ヴィトラ消防署」の所在地

 

ドイツ連邦共和国の南西の端に位置するヴァイル・アム・ラインの町に、ヴィトラデザインミュージアムと言う広い施設があります。そこにはいくつもの高名な建築家が手掛けた建物がありますが、「ヴィトラ消防署」もその一つです。ヴァイル・アム・ラインはドイツとフランス、スイスの三か国が接する場所で、スイスの国境にある都市、バーゼルを中心とした都市圏に含まれています。8世紀には町としての記録が残っていて、長い間ワイン醸造の為のブドウ栽培を始め、農業がこの地の主要な産業でした。20世紀に入ってから鉄道が敷かれ、軽工業の工場なども操業するようになりました。1989年にスイスの家具メーカーが作ったヴィトラ・デザインミュージアムが、この町の名前を一気に広めました。ヴィトラ社は、1934年に店舗のショーケースなどを扱う店として出発しました。1950年には会社の名前を、フランス語のショーケースを意味する単語を由来としたヴィトラに変更し、家具のメーカーとして再出発しました。ヴィトラ社は、様々な分野のデザイナーと協力して魅力ある家具を世界中で販売しています。近年この町は、ヴィトラ・デザインミュージアムに触発されて、町の西側を流れるライン川には美しい橋が掛かり、町の中にも興味深いオブジェや小さな建造物もあって、デザインの町として多くの人を魅了しています。

 

「ヴィトラ消防署」の特徴

 

「ヴィトラ消防署」は、鋭利な刃物のような屋根が天を突き刺すように見える正面からの姿が印象的な建物です。型枠に流されたコンクリートがそのままの状態で使用される、打ち放しと言われる工法で作られています。コンパクトでシンプルな作りですが、各所に鋭角の部分があるので存在感のある建物となっています。「ヴィトラ消防署」の画像で一番よく紹介される正面入り口付近に設置されている屋根は、数本の黒いパイプが庇を支えるように取り付けられていて、今にも空に向かって飛び立とうとする鳥の翼のようにも見えます。全体的に無彩色で鋭角的なので力強いイメージがあります。しかし、見る角度によって様々な表情を見せてくれる建物です。ある方向から見ると、広い壁部分が全面ガラス張りになっていて、とても明るく見えます。また、芝生が植えてある方向から見るとシンプルではありますが、粋な雰囲気を持つ面もあります。無彩色で無機質な感じの建物ではありますが、屋内のそこかしこに置かれたヴィトラの椅子の曲線が加わると、とても生き生きとした佇まいを見ることもできます。直線的な建物ですが、よく見るビルや家屋の直線とは一味違って垂直や直角の部分はほとんどありません。天井が斜めになっていたり、壁も傾斜が付けられていたり、平衡感覚を狂わせるような場所がたくさん作られています。

「ヴィトラ消防署」のまとめ

 

1981年にヴィトラ・デザインミュージアムで火災が起き、以降の自衛のためにミュージアム内に消防団が結成され、その時に消防設備や備品を納める小屋も作られました。1993年にその小屋を取り壊して、新しい消防署が建設されることになって、ザハ・ハディッドに依頼されました。「ヴィトラ消防署」が完成して数年後には地元自治体の消防署と連携することになり、「ヴィトラ消防署」は消防署としての役割を終えました。その後はミュージアムの一施設として、訪れた人々に解放され、様々な展示や会議場として利用されています。しかし、建物の名称はそのまま据え置かれることに決まりました。「ヴィトラ消防署」の建設は、以後のザハ・ハディッドが羽ばたくことができた要因となり、正に彼女を世界に飛び立たせた作品となっているのではないでしょうか。

 

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