ロンシャンの礼拝堂(Chapelle Notre-Dame du Haut)

「ロンシャンの礼拝堂」のご紹介

 

 

 

 

 

 

 

 

宗教関係の建物は大規模な建造物から、小ぢんまりした建築物まであり、豪華できらびやかな建物から質素なものまで様々です。しかし、神様に祈りを捧げる神聖で荘厳な場所であることには変わりはありません。「ロンシャンの礼拝堂」は巡礼に訪れた人々を温かく迎えてくれます。 

「ロンシャンの礼拝堂」の設計者

近代建築の巨匠と呼ばれる建築家の一人、ル・コルビュジエ(本名、シャルル・エドゥアール・ジャンヌレ)は、1887年スイスの時計職人の父の元に生まれました。家業を継ぐために美術の学校で彫金や彫刻の勉強をしていましたが、視力がとても弱かったので細かい作業が難しく、時計職人になることはあきらめました。しかし、美術学校の校長は彼に建築の才能があることに気づき、建築家になる事を勧めました。正式に建築の勉強はしていませんが、フランスやドイツの有名な建築事務所で働きながら建築の様々な事柄を学んでいきました。学校で建築を学ばなかったおかげで、建築に対する自由な発想が彼にはありました。モダニズム建築家の先駆けとなった彼は、「近代建築の五原則」や、建築物の大きさを測る「モデュロール」など様々な考えを提唱して、後の建築家に大きな影響を与えています。196577歳でこの世を去った彼の偉業を称えて、フランスを中心に7か国に建つ住宅や工場、宗教施設などが彼の建築群としてユネスコの世界遺産に登録されています。日本にも1件あり、大陸をまたいで登録されたのは初めての事でした。 

「ロンシャンの礼拝堂」の所在地

フランス共和国の西端部に位置する、オート=ソーヌ県の田舎にある小高い丘の上に「ロンシャンの礼拝堂」があります。フランスの北東部に位置する小さな町がロンシャンです。1,000mクラスの山に囲まれた所で、産業革命の頃には石炭の鉱山がありました。町には鉱業博物館があり、当時の作業の様子や様々な道具類が展示されています。オート=ソーヌ県にはサクランボの名産地があり、サクランボのお酒「キルシュ酒」が有名です。農村地帯もありますが、炭鉱があったことで工業も発展していました。この地域の語源と言われるソーヌ川は、フランス最大で最長のローヌ川の支流になります。ローヌ川流域は「ブルーバナナ」と呼ばれる、北はイギリスから南はイタリアまでを結ぶバナナ型の経済発展の著しい地域に含まれています。オート=ソーヌ県はフランス国内でのブルーバナナ地域の中核を担う場所にもなっています。ちなみにブルーはヨーロッパを表す色と言われています。 

「ロンシャンの礼拝堂」の特徴

「ロンシャンの礼拝堂」は、白を基調にした、どぉんとした雰囲気の建物です。外観で一番目につくのは正面の屋根の部分ではないでしょうか。茶色の柔らかい雰囲気の屋根はカニの甲羅をイメージして作られたと言うことです。北側の裏面は白いシンプルな感じですが、円柱を縦半分に切った塔のようなものが作られています。キリスト教の教会のシンボルとも言える、小さな十字架が塔の上に取り付けられています。壁には様々な大きさの窓やスリットのようなものがランダムに開いています。南側の壁に作られている窓の群れのような開口部は、四角錐の上部を切り取ったような形になっていて、先端にシンプルなステンドグラスがはめ込まれています。この部分は採光のためのもので、陽の光が差すととても美しい明かりが屋内に広がります。壁の厚みがランダムで一番厚い所では3mもあり、洞窟の先に光があふれるようでちょっと幻想的でもあります。屋根と壁の境目にもスリット状の隙間が開けてあり、そこからも光が漏れるようになっています。祭壇は地元の白い天然石で作られていて、本当の姿は内部から見る建物と言えます小高い丘の上に建っている「ロンシャンの礼拝堂」ですが、周囲は森のような樹々に囲まれています。設計者のル・コルビュジエは、見下ろす町の風景と周囲の森を含めてこの建物を設計したと言っています。 

 

 

 

 

 

 

「ロンシャンの礼拝堂」のまとめ

元来、巡礼の地で昔から礼拝堂が建っていたのですが、第二次世界大戦の時に破壊されたので新しい礼拝堂を作ることになり1955年に完成しました。正式な名称は「ノートルダム・デュ・オー礼拝堂」と言います。広い敷地の中には、礼拝堂の他に司祭の住居や巡礼者の宿泊施設が建っています。静かな田舎町の丘の上に建っている「ロンシャンの礼拝堂」は、ル・コルビュジェの世界遺産の作品群の中の一つでもあります。 

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