テンペリアウキオ教会(岩の教会)(Temppeliaukion kirkko)

「テンペリアウキオ教会(岩の教会)」のご紹介

 

ほとんどの建築物は建てる場所が決まっています。しかし、建設用地そのものを利用することは稀なのではないでしょうか。およそ半世紀前に完成した北欧の都市にある教会は、建設が開始される半世紀前には敷地が確保されましたが、様々な要因で建設が遅れました。紆余曲折を経て完成した「テンペリアウキオ教会」は、建設用に決められていた岩場がそのまま利用されました。

「テンペリアウキオ教会」の設計者

 

数回にわたり行われた「テンペリアウキオ教会」の建築設計競技会で、最終的にこの教会の設計を勝ち取ったのは、フィンランドの建築家ティモ スオマライネン(ティモ サカリ スオマライネン)とトゥオモ スオマライネン(トゥオモ オスカリ スオマライネン)の兄弟でした。兄のティモは1928年に、弟のトゥオモは1931年にフィンランドの首都、ヘルシンキの沿岸に浮かぶスールサーリと言う島で生まれました。彼らの父親は島の灯台を守る長として働き、母親は看護婦をしていました。共にヘルシンキの工科大学で建築を学び、兄のティモは卒業後にいくつかの建築事務所で働いていました。弟のトゥオモがまだ大学に在学していた時に、兄弟で参加したフィンランドの南東部の街に建設された学校の設計競技会で優勝を勝ち取り、兄弟で建築事務所を開設しました。弟のトゥオモは1988年に57歳の若さで亡くなっていますが、それまでは二人で国内の比較的大きな建築物を手掛けていました。兄のティモはその後一人で建築家としての活動を続けて、フィンランドの建築家協会やアメリカの建築家協会の名誉会員にもなっていました。多くの教会や公共の建築物を手掛けていましたが、2021年に国の南部にある内陸の街で長い闘病生活の末、93歳という長寿で人生の幕を下ろしています。

「テンペリアウキオ教会」の所在地

 

「テンペリアウキオ教会」は、北欧の国フィンランド共和国の首都ヘルシンキの中心部に建てられています。ヘルシンキはフィンランドの南部に位置していて、バルト海から東に延びるフィンランド湾に面した港街で、海を挟んだ対岸にはエストニア共和国があります。街の中心部は海に突き出た半島のような地形で、複雑に入り組んだ海岸線を持ち、沿岸にはユネスコの世界遺産にも登録されている要塞の島を始め、大小の島が多く浮かんでいます。比較的大きな島のいくつかには本土と繋がる橋が架けられています。高緯度なので夏至の頃には太陽が19時間も出ていますが、冬至には最短の6時間となっています。気候は海に面している為に比較的穏やかで、夏季には20℃前後まで気温が上がり、冬季でも平均気温は氷点下を少し下回るくらいです。降水量は年間を通して差はあまりありませんが、わずかに冬季の降雪日数が多くなっています。この街は19世紀の初め頃に起こった戦争によって、街のほとんどが瓦礫と化したことから、古い建物はわずかしか残っていません。反面、その時代から後の建築の流行スタイルが変わっていく過程を見ることが出来ます。古代ギリシャなどの神殿に影響を受けた「新古典主義」や19世紀の終わりから20世紀の初めに広まった曲線や有機物をかたどったようなデザインの「アールヌーヴォー」、機能性を重視した「モダニズム」など様々な形式の建築物が混在しています。

 

「テンペリアウキオ教会」の特徴

 

「テンペリアウキオ教会」は、正に「岩の教会」です。建設用地は20世紀の初めに決まっていて、最終的に建物が完成したのは1969年のことでした。ヘルシンキの市街地には、あちこちに氷河期からの大きな岩があります。「テンペリアウキオ教会」の建設予定地も大きな岩のある場所でした。その巨大な岩をくり抜いた物が基本となっていて、まるで、岩に埋もれた様な教会です。入り口からはドームの屋根がわずかに覗く岩の塊にしか見えません。巨大な岩を掘り下げて、その上に石の壁が作られ、屋根の部分が載せられています。屋根はコンクリート製の平たいドーム状で、中央部分は銅板で覆われています。中央にある円盤型の天井からは、180本のコンクリートの梁が放射状に取り付けられていて、まるで和傘のような印象があります。梁の間には隙間があって、天窓のような役割を果たしているので、岩の中の洞窟のような雰囲気もありますが、日中はとても明るい空間になっています。内装も花崗岩をイメージした色合いが使われていて、燭台なども岩の壁に直接取り付けられています。屋内の一番広いホールには940人が入れるようになっています。天然の岩で出来ていることから、音響がとても良いホールになっていて頻繁に演奏会が開かれています。

「テンペリアウキオ教会」のまとめ

 

この建物はコンペティション(または、縮めてコンペ)と呼ばれる、建築設計競技会によって設計者が決まりましたが、20世紀の初めには現在地に教会を建設する計画がありました。しかし、幾度かの戦争によって建設そのものが延び延びになってしまい、結局コンペは3回行われました。最終的にこの教会の設計を担当することになった兄弟は、フィンランドの言葉で岩の教会を意味する「キヴィ(岩)・キルッコ(教会)」と言う名前で応募していました。相反するようですが、「テンペリアウキオ教会」は大きく目立つような建物ではありませんが、それでも街のランドマークとなっていて、当地の切手の意匠にも使われています。

 

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