ガラスの家( The Glass House )

「ガラスの家(コネティカット州)」のご紹介

 

 

 

 

 

 

 

 

四分の三世紀ほど前に作られた住宅がアメリカの北部に建っています。築70年以上と聞くと、古く、くたびれた家というイメージが強く現れるのではないでしょうか。しかしこの家は、今現在でも時代を先取りしているように見えます。素晴らしく見通しの良い「ガラスの家(グラス・ハウス)」をご紹介します。

「ガラスの家(コネティカット州)」の設計者

アメリカ人のフィリップ・ジョンソンは、長い人生の前半において様々な職業を経験してきました。学業を終えた彼は、ヨーロッパを巡り、アメリカに帰って美術館のいわゆる学芸員を務めました。当時のヨーロッパの建築物は、モダニズムと呼ばれる鉄骨やコンクリート、ガラスなどの新しい素材と、シンプルなデザインの建物が現れていました。彼はそんな建築物に魅了され、ヨーロッパで出会った様々な近代建築を紹介する企画を立て、モダニズム建築を広く知らしめました。美術館の仕事を辞めてしばらくは政治活動を行っていましたが、再び大学に入り建築を学びました。卒業後は軍の技術系の兵士となり、第二次世界大戦が終わるまで従軍していました。退役して間もなく再度美術館で働きました。この時に、ヨーロッパ建築界の巨匠と呼ばれるミース・ファン・デル・ローエを初めてアメリカに紹介しました。フィリップ・ジョンソンは、アメリカでの彼の活動を助け、協力して作り上げたシーグラム・ビルは完成して60年以上経ちますが、今でも周りのビルと比べても遜色ない建物となっています。この事がきっかけで、フィリップ・ジョンソンはモダニズム建築家と呼ばれるようになりました。

「ガラスの家(コネティカット州)」の所在地

アメリカ合衆国のコネティカット州はロングアイランドの対岸に位置します。その中のフェアフィールド郡にあるニューカナーンと言う町に「ガラスの家」が建てられています。植民される前のこの地域には、先住民族であるインディアンの複数の部族が暮らしていました。独立戦争の時代には、食料の生産と言う重要な役割を果たしていた地域でもあります。ニューヨーク州のすぐ東に隣接する地域で、全米の中では、とても裕福な地域として有名です。20世紀の中ごろには、過密となったマンハッタンから多くの企業が本社を移してきました。また、ニューヨークの中心部から列車で約1時間と言う近距離なので、週末をこの地で過ごすための別荘を建てる人も多く、街の中には高級品を扱うお店が立ち並んでいるところもあります。

「ガラスの家(コネティカット州)」の特徴

「ガラスの家」は、東京ドーム約4個分の広大な敷地のほぼ中央に建てられた家です。1949年にフィリップ・ジョンソンの自宅として建てられましたが、前出の「ミース・ファン・デル・ローエ」のスケッチを参考にしたと言われています。名前の通り、壁の部分が全て透明ガラスで作られていて、外から家の内部が全部見えます。ほぼワンルームと言えるシンプルな間取りなので、屋内のどこからでも外の見晴らしが完璧です。平屋で、屋根も平らなので、小さな家のように見えますが、実は500平方メートル以上もあり、ダブルスのテニスコート2面分の広さがあります。街の中にあったら、ちょっとイヤかもしれませんが、広い敷地の樹々に囲まれた場所に建っているので、まるで林の中にそのまま寝ている様な感じのベッドルームもあります。ベッドの頭の方には、他のスペースとの境となるように、人の身長ほどの高さの木製の衝立のような壁が取り付けられています。部屋の中央から少し寄った所に、レンガで組まれた大きな円柱があって、その中にトイレとバスルームが作られています。部屋の広い方に向いた側には暖炉が作られているので、円柱の一部は煙突としても使われています。その為、円柱はわずかに屋根から突き出しています。自宅として建てられた「ガラスの家」に50年以上住んでいた彼は、最後の時までここで暮らしていました。

 

 

 

 

 

 

「ガラスの家(コネティカット州)」のまとめ

資産家でもあったフィリップ・ジョンソンの資金力があったから、このような広大な敷地に小さな家(敷地に比べて小さな)を建てることができたのではないでしょうか。この敷地には、彼のたくさんの小さな作品が建てられ、そこかしこに彫刻も設置してあり、一つの公園のようになっています。彼が98歳でこの世の生を終えたのは、この家のベッドの上だったと言うことです。彼の死後、この土地と家は彼の遺言の通りナショナルトラストの所有となり、現在は美術館のような形態となっていて様々な催しが執り行われています。

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