ソウマヤ美術館(Museo Soumaya)

「ソウマヤ美術館」のご紹介

 

多くのメキシコの人々は、質の高い美術品を鑑賞するために旅行することが出来ないと考えていた世界でもトップクラスの富豪が、その人々の為に、世界中から最高の美術品を集めた美術館を建設し、無料で観覧できるようにしています。不可能と言われた美術館の建物は、多岐にわたる多くの技術者と潤沢な資金で実現しました。その富豪の亡き妻の名を冠した「ソウマヤ美術館」は、義理の息子が手掛けています。

「ソウマヤ美術館」の設計者

 

「ソウマヤ美術館」の設計とデザインを手掛けたのは、メキシコ人のフェルナンド・ロメロです。彼は、1971年メキシコの首都メキシコシティで街の開発に携わってきた一家の元に生まれました。メキシコの大学で建築を学びましたが、子供の頃には発明家になりたいと思い、次に作家になりたいと思っていたようです。大学を卒業した彼は、フランスの著名な建築家であるジャン・ヌーヴェルの元で実践を経験していました。パリにいた頃にオランダの建築家、レム・コールハースを知ってから、すぐに彼の元へ行き3年間ロッテルダムで経験を積みました。彼は建築を学び、実践もこなしていましたが、建築家になると言う確信が持てなかったと言っています。しかし、レム・コールハースの元で働きながら次第に建築家になると確信し、自信もつけていったようです。オランダを離れる直前に大きなプロジェクトのリーダーを務め、帰国の途に就いた飛行機の中で出会った「ソウマヤ美術館」の依頼者の娘と結婚しました。結婚式の証人はレム・コールハースが勤めたということです。2000年にメキシコに戻った彼は、自らの建築と工業デザインの事務所フェルナンド・ロメロ・エンタープライズ(FR-EE フリー)を開設しました。現在はメキシコシティとニューヨーク、中国の深圳(しんせん)に事務所を置き、様々な分野の人々や会社と手を携え、多くのスタッフと共に活躍を続けています。

「ソウマヤ美術館」の所在地

 

「ソウマヤ美術館」はメキシコ合衆国の首都、メキシコシティに建設されました。台湾より少し南になる緯度なので、本来は熱帯域に属する場所ですが、標高が2,000m以上ある高地の為、夏季でも30度を越えることは少なく、冬季では稀に氷点下を記録することもあります。16世紀にスペインからの探検家がやってくるまでは、アステカ帝国の首都がある場所でした。その頃は、この地にテスココ湖と言う大きな湖があって、アステカの首都はその中に浮かぶ島に建設されていました。植民地時代のニュースペインと呼ばれていた時期もこの地は首都を務め、人口が増えてきた17世紀頃に、湖の水を抜いて土地を広げる干拓が行われるようになりました。現在は盆地となって、湖だった名残はメキシコシティの北東にある自治体に小さな池として残っているのみです。皮肉にも元々湖だったので、大きな川がないことから都市が必要とする水は地下水を汲み上げて賄っています。また、湖底だったことで地盤が弱く、地下水の大量汲み上げによって地盤沈下も起きています。加えて地震が比較的多い地域なので、規模の大きい地震が起きると被害が大きくなるようです。また、盆地と言う地形の為に風による空気の対流が少なく、高地であることから空気が薄いという事も相まって大気汚染が深刻で、世界で最も大気環境の悪い都市と指摘されています。しかし、反対に環境の回復に務める様々な方法を試すモデルともなっています。

 

「ソウマヤ美術館」の特徴

 

多くの人が建設は不可能だと言っていた建物が「ソウマヤ美術館」です。製紙工場の跡地に建てられた、高さ46mで6階建てのエレガントな雰囲気のある建物です。一言では言い表せないような規則性のない形で、見る方角によって様々な形に見えます。しかし、どの方向から見ても滑らかな曲線を描いているのは同じです。基本の骨格と言える構造は、28本の鋼鉄製の柱で、デザインに従って全て違う曲がり方をしています。6つあるフロアを支える梁はそれぞれ7本あって、柱と共にこれらの鋼が「ソウマヤ美術館」を支えています。この建物の一番の特徴はその形状ですが、二番目は外観の艶やかさです。骨格のすぐ上には菱形をした鋼のパネルが覆い、その上に防水幕が被せられています。更にその上を6角形のアルミパネルを16,000枚使用して外皮としています。アルミパネルは、数ミリの隙間を作って並べられ、建物から僅かに浮いているように見えます。この方法は、この地域の伝統的な住宅の作り方の中にある、タイルを使用した部分を参考にしているとのことです。建物には窓がありませんが、最上階の天井の中央部分には天窓のような開口部があり、自然光が入るようになっています。不規則なゆがんだような形の建物なので、各階の床面積や形は全て違います。美術品の展示だけでなく、図書館やレストラン、350人が収容できる講堂も入っています。

「ソウマヤ美術館」のまとめ

 

亡くなった義母の為に設計者は、最初のデザインをインドのタージマハルのように白い大理石を使いたかったようですが、「ソウマヤ美術館」がこのようなデザインに決まるまで、十数回もデザインのやり直しを要求されたようです。依頼主はたとえ義理の息子でも容赦しなかったという事です。地盤が堅牢ではなく、地震も多いこの地域で不規則な形の巨大な建築は難しいと幾多の専門家が言っていました。しかし、完成した「ソウマヤ美術館」は優美な形状の艶やかな建物で、この街の新しいランドマークとなっています。

 

 

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