シドニー オペラハウス(Sydney Opera House)

「シドニー オペラハウス」のご紹介

 

世界には、訪れたことがなくても写真画像や映画やニュースの映像などで見て多くの人が知っている建築物があります。例えば、オーストラリアと言えば「シドニー オペラハウス」を思い浮かべる人は多いのではないでしょうか。南半球でも指折りの大都市に建つ

「シドニー オペラハウス」は、設計者が存命のうちに世界遺産に登録された数少ない建築物の1つです。

「シドニー オペラハウス」の設計者

 

「シドニー オペラハウス」は200件以上の参加があった建築競技会で設計者が決まりました。見事優勝したのは、当時38歳で無名だったデンマーク人のヨーン・ウツソンです。1918年にデンマークの首都コペンハーゲンで生まれた彼は、船の設計技師だった父の元で子供時代はデンマーク北部の港町、オールボーで育ちました。歴史ある港町で暮らし、父親の仕事を見ているうちに船や海軍に興味を持つようになりました。そして、芸術に関心を持つ家族のなかで成長してきた彼は、王立の芸術アカデミーに入学し、卒業後にスウェーデンのストックホルムにある建築事務所で働き始めました。第二次世界大戦が終わって故郷のデンマークに戻った彼は、世界各地を旅行して様々な建造物に出会い、興味を持つようになりました。それは、とても広い範囲にわたり、ヨーロッパはもとよりアジアや南北アメリカも訪れ、マヤの古代遺跡やアメリカの著名な建築家の自宅、そして様々な国の伝統的建築物を見て回りました。このことは後の彼の生み出す作品に大きな影響を与え、建物のデザインだけでなく、建設のための素材も広範囲に広がる結果となっています。彼は、「建築は自然と同じで、きちんと世話をすれば木のように成長する」と言っていました。時代を先取りしすぎた彼の作品は、技術の進歩を後押ししてきましたが、2008年にデンマークの東にあるヘルシンゲルと言う街で、90年の人生を終えています。

「シドニー オペラハウス」の所在地

 

「シドニー オペラハウス」が建つシドニーは、オーストラリア大陸の南東に位置するオーストラリア連邦最大の都市です。この街は南太平洋の一部、タスマン海に面していて、天然の良い港である北側のポート・ジャクソン湾と南にボタニー湾があります。ポート・ジャクソン湾はリアス式海岸で、特徴的で非常に複雑な地形を形成しています。湾にはパラマッタ川を始めとする複数の川が流れ込み、たくさんの小さな島も浮かんでいます。島の中には埋め立てなどによって、完全に陸地と繋がっているところもありますが、島の名前が地名に残されている場所もあります。また、多くの橋も架けられています。中でもオペラハウスのすぐ近くに架かる「シドニー・ハーバー・ブリッジ」は、車道、歩道と共に鉄道も通っていて街を象徴する橋として、観光名所にもなっています。しかし、橋の渋滞がひどくなってきたことから、20世紀の終わりに海底を通るトンネルが建設されました。「シドニー オペラハウス」は元々は陸繋島(りくけいとう)であったベネロング・ポイントにあります。陸繋島は干潮時に歩いて渡れるような砂州で陸と繋がるような島ですが、ベネロング・ポイントは現在埋め立てによって完全に陸地と繋がっています。

 

「シドニー オペラハウス」の特徴

 

青い海と青い空に映えるようにと、設計者が考えた通りに白い帆を上げた帆船のような印象を持つ建物が、1973年に完成した「シドニー オペラハウス」です。長さ180m、幅の最大値は120mで、建物の最高点は67mあり、通常のビル22階分の高さがあります。建物自体はコンクリートで作られ、外壁はシドニーの西およそ130kmの位置にあるタラナと言う町で採石されているピンクの花崗岩で覆われています。屋根は「シェル」と呼ばれ、14の部分に分かれていて、型枠に流し込んで作るコンクリートで作られ、その上にタイルが敷き詰められています。タイルは日本の陶磁器を参考にしてスウェーデンで製造されました。100万枚以上のタイルはベージュと光沢のある白い色になっていますが、近隣に迷惑をかけないよう、日光を反射しすぎないように考慮されています。屋根の形は最初のデザインでは当時の技術で建設することは不可能だったようで、途中で変更されました。実際に使われたデザインは、設計者がオレンジの皮をむいたときに思いついたと言っています。その為、14の屋根を合わせると球形になると言っている人もいるようです。しかし、そのデザインでも当時の技術では難しく、どのようにして実現するか構造技術から考案する必要が生じて、建設期間が異常に長くなったと言われています。客席が2,500席以上もあるホールを含めた内装は、地元の白樺や、フトモモ科の樹木を材料とした木材が使用されています。自然を利用した空調は現在ではよく使われていますが、当時は画期的な方法で、30㎞以上の長いパイプラインを利用し、海水を循環させて館内の空調を整えています。

「シドニー オペラハウス」のまとめ

 

大都市の港に浮かぶ帆船のような姿の「シドニー オペラハウス」ですが、政治上や技術上など実に多くの問題が起こり、完成するまでに14年の歳月がかかりました。設計者は完成した美しい「シドニー オペラハウス」を実際に見ることはありませんでしたが、自信作でもあり出世作でもありました。建設当初は「菓子パン」や「アルマジロ」、「壊れかけたサーカスのテント」など、たくさんの蔑称が付けられました。しかし、完成から半世紀が過ぎた現在では、様々な人や機関が正当な評価をしていて、シドニーは元よりオーストラリアが自慢できる施設となっています。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。