サンパウロ美術館(Museu de Arte de São Paulo)

「サンパウロ美術館」のご紹介

 

第二次世界大戦が終わったころ、世界中の国々は大変疲弊していました。その当時には復興のための資金を集める目的で、多くの芸術作品を売りに出す事を選択した国も多かったようです。しかし、そのような時には玉石混合となる事も多く、優れた芸術品を見分ける目を持った人物は大変重宝されました。当時ブラジルの政治家であり、作家、実業家など様々な肩書を持った人物がそれらの芸術品を集めて、美術館を作ろうと考えました。その人物は真贋を見極める目を持っていない事を知っていたので、イタリアから訪れていた人物に目を付けました。そうして開設されたのが「サンパウロ美術館」です。

「サンパウロ美術館」の設計者

 

「サンパウロ美術館」を手掛けたのは、1914年にイタリアの首都、ローマで生まれたリナ・ボ・バルディ(本名はアチリナ・バルディ)です。彼女は小さいころから芸術に興味を持っていて、建築の道に進もうと決めた時、父親は反対はしませんでしたが賛成もしなかったようです。ローマの大学で建築を学び、卒業後にファッションの街と言われるミラノへ移りました。そこで、建築家でデザイナーだった人物の元で働くようになり、建築だけでなく、工業デザイナーとしても活動するようになりました。28歳の時に独立して自らの事務所を立ち上げましたが、第二次世界大戦の只中で、仕事も少なく、最終的には爆撃によって事務所があった地域が破壊されてしまいました。終戦後間もなく、彼女は美術評論家で記者も務めていたピエトロ・マリア・バルディと結婚し、夫の仕事の関係でブラジルに渡りました。彼女は戦争によって多くのものを失い、イタリアから離れたかったこともあったようです。ブラジル滞在は当初、短期間の予定でしたが、彼女の建築に対する考えを受け入れてくれた事と、様々な人との出会いによって最終的には夫婦でブラジルの国籍を取得して永住することになりました。彼女は当時の建築界で大きな風潮となっていた、コンクリートとガラスを使ったモダニズム建築を得意とする建築家でした。彼女の自宅は、当時の著名な建築家達が好んでいたガラスをふんだんに使ったグラスハウスでした。その自宅で、1997年に77歳の生涯を終えています。

「サンパウロ美術館」の所在地

 

「サンパウロ美術館」は、ブラジル連邦共和国の南部にあるサンパウロの中心部に建設されています。南半球最大の都市と言われ、世界でも五指に入る大都市です。北米大陸と共に南米大陸もヨーロッパからの移民が多く、様々な先住民族も暮らしていました。ヨーロッパからだけでなく、中東地域や日本からもたくさんの人が移住していて、現在でも日本以外で日本人や日系人が一番多く暮らしている街です。国内でも特に出身民族の多い街で、世界でも稀にみる多文化の街になっています。多種多様な文化を伝えるために、公的な物から私的な物まで、実に多くの博物館や美術館があります。また、音楽に関しても、いくつかの有名なロックバンドが結成された街であり、クラッシックに於いても中南米で最高の交響楽団の本拠地になっています。大小の劇場やコンサートホールもあり、日常的にオペラやコンサートを楽しめます。また、この街出身の著名な作家や作曲家もいて、ブラジル文化の発信地でもあります。他にも国内で有力な新聞社や大手出版社の本社や、「サンパウロ美術館」の創設者の1人が開局した国内初のTV局があり、メディアの分野でも国をけん引している街です。

 

「サンパウロ美術館」の特徴

 

1968年の建設当初からサンパウロのランドマークになっていた建物が「サンパウロ美術館」です。半世紀以上も前に建設されたとは思えない、とてもスタイリッシュな外観の建物です。コンクリート製の巨大な赤い4本の柱と、それに続く2本の梁にガラスの箱が吊り下げられているような印象を与えています。地上8mに持ち上げられた箱の下には、広い空間が作られています。それぞれの柱の間は長い部分で72mあり、当時は世界で最も広い建物の床下にある広場が出来上がりました。広場は市民が自由に使うことができ、熱帯の強い日差しを遮り、風の通り道を作っています。「サンパウロ美術館」が建っている場所は、富裕層の人々が好んで訪れていた展望台がありました。その敷地の下には道路が通っていて2本のトンネルが掘られています。そのような高低差のある敷地であったことから、地下2階と地上階その上に2階のフロアがあります。現在も広場の北東側からは、市内は元より遠くの山脈を望むことができます。屋内も設計者が自由な建築と言っていた通りに、順路を作らず、展示スペースは広いワンルームになっています。上下間の移動に使う階段は比較的段差の少ない緩やかなものになっていて、外観に似せた赤い色になっています。また、絵画の展示はコンクリートの土台に強化ガラスの板が取り付けられ、そこに絵が飾られていて、まるで絵が宙に浮いているように見えます。

「サンパウロ美術館」のまとめ

 

1947年に最初の「サンパウロ美術館」が創設された時には、設計者の夫であるピエトロ・マリア・バルディも関わっています。彼にはいくつもの肩書がありましたが、美術品のコレクターでもあったことから、真贋を見極める目を持っていました。美術館の収蔵品が増えるにしたがって、手狭になってきたことから現在の「サンパウロ美術館」が建設されました。当時の建築様式の1つであるブルータリズム建築による、無骨な印象が赤い柱によって払拭されています。美しい建物ではなく、自由な建築物を求めていた設計者の思いが詰め込まれた「サンパウロ美術館」は、21世紀に入って歴史的に重要な建築物として、国の機関に登録されています。

 

 

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