ポーラ・レゴ美術館(Casa das Historias Paula Rego)

 

「ポーラ・レゴ美術館」のご紹介

 

 

 

 

 

 

 

 

特定の芸術家の為の美術館はたくさんありますが、その建物を作る時は当該芸術家のイメージを壊さないようにしなくてはならないでしょう。ポルトガル人の画家の為に作られた美術館は素朴な建物です。

「ポーラ・レゴ美術館」の設計者

ポルトガル人のエドゥアルド・ソウト・デ・モウラは1952年、北部の街ポルトで生まれました。父は医者で兄は法曹界に席を置いていました。大学で彫刻を学んでいましたが、途中で建築へ移行しました。建築学の学位を得るまでは、学業と並行してポルトガルの著名な建築家のもとで働いていました。その後、1980年に自分の事務所を構えましたが、最初は個人住宅などの規模の小さい仕事をしていました。20世紀の終わり頃には、12世紀に建てられた修道院をホテルに改築するために約8年もの間、彼はその修道院で過ごしました。

改築の傍ら自らの母校をはじめ、ヨーロッパの数か国とアメリカのハーバード大学で教鞭をとるようになってきました。次第に大規模な建築物を設計するようになり、駅や学校、スタジアムや美術館など、ヨーロッパを中心とした各地に彼の作品が出来上がっていきました。近年では、数々の優秀な建築家に贈られる賞を受賞し、中でも建築家に授与されるノーベル賞とも呼ばれるプリッカー賞は、ポルトガル人としては2人目の快挙を遂げています。

「ポーラ・レゴ美術館」の所在地

ポルトガル共和国の首都リスボンの近郊にカスカイス(カシュカイシュ)と言う街があります。大西洋に面したところで、古くから漁業や海運業などの海に関わる街として発展してきました。首都リスボンから約25kmと近く、リゾート地としても有名な地域です。19世紀頃まで王政を敷いた国だったので、王族の離宮があったことからポルトガルで初めて電灯がともった史実があります。大西洋に面していることから、一年を通して温暖な気候で、夏でも平均気温が30℃を超えることは少なく、冬は氷点下になる事はめったにありません。美しい海岸や数多くのビーチもあり、シーズンになると多くの海水浴客が訪れています。また、ヨーロッパ有数のサーフスポットとなっていて、各地からサーファーが良い波を楽しみに来ています。観光名所として人気のある「地獄の門」と呼ばれる浸食洞があり、今も大西洋の荒波に晒されています。この街は、日本国内で同じ海沿いのリゾート地として有名な熱海市と姉妹都市を提携しています。

「ポーラ・レゴ美術館」の特徴

「ポーラ・レゴ美術館」は2009年に完成した素朴なイメージを持つ建物です。まるで、どこかの原住民族の古い家屋のような、レンガ色の三角錐が二つ並んでいるのが印象的です。この美術館は、近くにある中世のお城を参考にしていると設計者は言っています。15世紀に建てられた「シントラ国立宮殿」の白い二つの三角錐の形をした塔は、「ポーラ・レゴ美術館」を見たときに最初に目につく屋根の形とそっくりです。三角錐の上部は切り取られていて、家畜の飼料などを貯蔵するサイロのような雰囲気があって、尖ったイメージはありません。切り取られた部分は天窓になっていて、陽の光が差し込むように出来ています。
外装はコンクリートですが、赤と黄色の顔料を用いて着色されているので、通常は無機質な感じのするコンクリートのイメージが、赤茶色と言うアースカラーによって温もりを感じさせる建物になっています。この色は、この地域の住居に昔から使われていたテラコッタの色に通ずるものがあります。また、床面には地元で採石される大理石が使われています。質素とも言えそうな飾り気のない建物ですが、元々敷地内に植えられていた樹々と芝生に溶け合う、自然と融合できる美術館となっています。街中にあるオアシスのようで、三方を壁に囲まれた館内のカフェテリアも一息つくのにぴったりな場所を提供しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ポーラ・レゴ美術館」のまとめ

「ポーラ・レゴ美術館」は、ポルトガル人の画家、ポーラ・レゴ(パウラ・レゴ)の作品を収めた美術館です。彼女の作品は型にはまらない風刺画のような作品が多く、時代を反映するような中に少し怖い部分を持ち合わせた印象的な絵が主流となっています。そのような絵画やイラストなどを収める美術館に、穏やかな雰囲気を持たせたのはイメージを和らげる作用を期待したからでしょうか。もしかしたら、相反する印象を強める効果を出そうと意図したのかもしれません。

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