第2ゲーテアヌム(Goetheanum)

「第2ゲーテアヌム」のご紹介

 

 

 

 

 

 

 

 

いつの時代にも天才と呼ばれる人はいますが、万人に受け入れられることは少ないようです。後世になってから改めて偉大な人であったと認識されることが多々あります。ルドルフ・シュタイナーはそのような人物の一人です。彼が設計した数少ない建築物「ゲーテアヌム」をご紹介します。「ゲーテアヌム」の名前はドイツの文豪ゲーテにちなんで名づけられました

「第2ゲーテアヌム」の設計者

 ルドルフ・シュタイナーは、1861年に現在のクロアチア北部オーストリアとの境に位置する小さな町クラリヴェクで通信技師の父の元に生まれました。幼い頃から数学や文学、物理学など様々な事柄に興味を持ち、宗教や哲学にも関心を示していました。その時々で出会った教師や医師など様々な人から影響を受け、あらゆる事を知りたいという好奇心旺盛でした。一人の人間がこれほどまでに多くの事柄についての知識を持つことが可能であるのか不思議なくらいの人物です。特に大きな影響を受けたのが、ドイツ人のゲーテでした。20代の頃に依頼されたゲーテが記した本の修正を行い、序文を書く仕事がきっかけのようでした。幅広い知識を吸収した後、様々な事柄に独自の考えを持つようになり、「人智学」と言う人間の精神に焦点を当てた考えを構築しました。しかし、共感する人は大勢いましたが、敵視する人もかなりいたようです。1925年に64歳で病気により亡くなりましたが、直前まで精力的に活動していました。彼の提唱した様々な理論は、現在も幅広い分野で活用されています。 

「第2ゲーテアヌム」の所在地

スイス連邦の北部、ドイツとフランスに国境を接する場所にバーゼルがあります。この街から南へ約10㎞の所にあるドルナッハと言う小さな町に「第2ゲーテアヌム」が建っています。バーゼルは街の中心部をライン川が流れています。大西洋の一部である北海にそそぐ、ヨーロッパ各国を流れるライン川は経済の中心でもあります。この街は、大型の船舶がライン川を遡れる最奥に位置しています。近世では製紙業や織物が栄えていましたが、これに関連して化学工業も発展し、現在では世界的に有名な製薬会社の本社があります。また、ライン川の恩恵で古くから交易の拠点としても重要な地域で、商業も発展しています。経済的に豊かであったことから、教育や文化の面でも古くから力が注がれ、スイス最古の大学があり、数十の美術館や博物館があります。 

「第2ゲーテアヌム」の特徴

「第2ゲーテアヌム」は、設計者のルドルフ・シュタイナーを象徴しているようなコンクリート製の建物です。優雅さと武骨さの中間のような外観で、現代的に言えば、ゲームの中の迷宮の入り口のようにも見えます。建設工事の開始直後にルドルフ・シュタイナーが亡くなりましたが、1928年に未完成ながら一旦会館しました。しかし、あくる年に完成するまで閉館することになり、以後、長い期間をかけて完成にこぎつけることが出来ました。外観は硬いイメージで武骨な感じがしますが、屋内は非常に美しいものになっています。使用目的は、講演や会議が行われる部屋と図書館や書店も入っています。劇やパフォーマンスの公演や、講演会が行われる中央講堂は、美しい天井画やステンドグラスが入り、パイプオルガンも設置されていて教会のような雰囲気があります。「第2ゲーテアヌム」は、元々ここに建っていた「第1ゲーテアヌム」が火事で焼失したために再び建設された建物です。「第1ゲーテアヌム」も内装はルドルフ・シュタイナーが手掛けていました。彼は、「第2ゲーテアヌム」の内装に関しては明確な指示を出していなかったので、「第1ゲーテアヌム」の内装を踏襲した形となっているようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

「第2ゲーテアヌム」のまとめ

ルドルフ・シュタイナーが活動の拠点とするために作った「ゲーテアヌム」ですが、現在建っているのは2番目に作られたものです。最初に作った「ゲーテアヌム」は二つのドーム屋根を持つ木造の建物でしたが、完成して間もなく何者かによって放火されたと推測される火事により焼け落ちてしまいました。その事を鑑みて、新しい「ゲーテアヌム」はコンクリート製にしたと言われています。名前が同じ「ゲーテアヌム」なので、区別して第1、第2のナンバーを付けて呼ばれています。「第2ゲーテアヌム」を中心とした広い敷地はゲーテアヌム公園として利用されていて、ルドルフ・シュタイナーはその片隅に埋葬されています。 

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