ディートリッヒ ボンヘッファー教会(Dietrich-Bonhoeffer-Gemeindezentrum)

「ディートリッヒ ボンヘッファー教会(ブレーメン)」のご紹介

 

ヨーロッパには古くから規模の大小に関わらず数多くの教会施設が建設されています。それらの施設は神様に祈りを捧げる場所であることはもちろんですが、それ以外にも様々な事柄で利用されています。ドイツ北部の街にある教会は、周辺住民のコミュニティセンターの役割もある一風変わった外見の建物です。

「ディートリッヒ ボンヘッファー教会」の設計者

 

1925年ドイツの東部、チェコとの国境に近いジークマール(現在はケムニッツの1地区)の町で生まれたフライ・オットー(フライ・ポール・オットー)が、ブレーメンの建築家カルステンシュレックと共に「ディートリッヒ ボンヘッファー教会」を手掛けました。カルステンシュレックは1923年に生まれ、地元ブレーメンにいくつかの作品を残し、1973年に50歳の若さで亡くなっています。フライ・オットーは、祖父と父親が彫刻家で、生まれて間もなくベルリンに移り、育ちました。10代の頃にグライダーの操縦を習っていたことがあって、第二次世界大戦が終わりに近い頃に空軍のパイロットとして徴兵され、従軍していました。軍に入る前にベルリンで建築を学んでいたことが終戦後の捕虜生活を少しでも良くする役に立ったようです。2年間の捕虜生活の間に培った事柄が、彼のその後の建築家としてのスタイルに影響を与えています。終戦後に再びベルリンで建築を学び、アメリカへ渡って更に都市計画や社会学を学びました。アメリカに在住している間に、多くの最先端のモダニズム建築に触れています。テント構造の建築物を多く世に送り出してきた彼は、2015年にドイツ南部の町ヴァルムブロンの自宅で89年の人生を終えています。彼は亡くなる直前に、建築家に贈られるノーベル賞と言われるプリッカー賞を受賞していますが、これは、ドイツ人としては2人目の快挙となっています。

「ディートリッヒ ボンヘッファー教会」の所在地

 

「ディートリッヒ ボンヘッファー教会」は、ドイツ連邦共和国の北西部にあるブレーメンと言う都市のフッティング地区に建っています。ブレーメンは、グリム童話の「ブレーメンの音楽隊」の物語の中に登場する街で、市庁舎の前にはロバ、犬、猫、鶏の銅像が建てられてます。一番下のロバの前足を撫でながら願い事をすると、願い事がかなうと信じられていて、ロバの前足は常にピカピカに光っています。この街は、北海へと注ぐヴェーザー川を挟んだ両岸に開けてきました。8世紀の頃にはヴェーザー川の渡し舟の船頭や漁師などの集落が作られていました。9世紀の頃には、交易の要所として重要な位置を占めるようになり、商業が盛んになってきました。中世になって街は商業都市の様相を見せるようになり、14世紀には現在の北部ドイツに点在していた都市間を連携していた「ハンザ同盟」に加入しています。「ハンザ同盟」が出来た頃は、それぞれの都市に現在の大使館のような役を果たす、商館が置かれ、北海やバルト海周辺の貿易を掌握していました。後には、政治や文化にも影響力を見せるようになってきました。経済力があったことから、様々な文化面での活動を後押ししてきました。特に音楽では、設立から200年の歴史あるオーケストラや、世界でも最高ランクの室内楽団があります。

 

「ディートリッヒ ボンヘッファー教会」の特徴

 

「ディートリッヒ ボンヘッファー教会」は、教会らしくない建物です。一見しただけでは教会には見えない風変わりな外観をしています。普通の教会には必ずと言ってよいほどある、十字架の取り付けられた塔は、故意に作られませんでした。教会の建物の印としては、屋内の壁の一部に控え目な十字が取り付けられているだけです。2つの高いコンクリートの柱と3つの低い柱に、テントの屋根が取り付けられています。5本の柱に引っ張られるように広がった屋根は、真上から見るとゆるやかな星形になっていて、有機的なイメージがあります。ロープネット構造と呼ばれる屋根がある為に、表現力が豊かな芸術作品とも言える建物に仕上がっています。少しゆがんだ5角形の建物なので、見る角度によって様々な形に形容されています。ある面からは細長い三角に見え、別の面からはリボンまたは、蝶のような形に見えます。屋内はホールのような広い空間になっていて、タイルの床と天井や壁は赤茶色をした木材で覆われています。壁の上部に三角形が少し変形したような窓が取り付けられていて、有機的な外観に対して、幾何学模様のような屋内空間が作り出されています。このような形になっている為、この建物の屋内には明確な正面がありません。

 

「ディートリッヒ ボンヘッファー教会」のまとめ

 

「ディートリッヒ ボンヘッファー教会」は、教会として神様に祈りを捧げる場としての役割はもちろんあります。しかし、この建物は、地域住民の集会所やリクレーション、地域のお祭りなど様々な理由で利用されています。この教会の共同設計者のカルステンシュレックは、地元のブレーメンに建ついくつかの教会の設計をしていますが、フライ・オットーと共に手掛けた「ディートリッヒ ボンヘッファー教会」は、それぞれの思いや得意分野が良い作用をして、一味も二味も違った建物となっています。地域の集会所としても利用されているこの教会は、地域住民が自慢できる場所と言えるのではないでしょうか。

 

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