ラモット ポリン(Ramot Polin)

「ラモット ポリン」のご紹介

 

地球上の様々な国に多くの人々が生活しています。その人々が暮らす住宅の中には、たくさんの住居が集まった集合住宅が、特に都市部に多く建設されています。集合住宅の多くは、いわゆる四角い箱のような建物ですが、アラビア半島の北端に位置する国の都市に建設された集合住宅は、「世界で最も奇妙な建物」とまで言われた不思議で形容しがたい形をしています。

「ラモット ポリン」の設計者

 

「ラモット ポリン」を手掛けたのは、ポーランド出身の建築家ズヴィ・タデウシュ・ヘッカーです。1931年にポーランドの王国時代に首都であったクラクフで弁護士の父の元に生まれました。第二次世界大戦がはじまってすぐに、幼い彼は家族と共に身の安全を確保する為にシベリアへ逃れ、終戦前には現在のウズベキスタンにある都市へ移り住んでいます。終戦後に生まれ故郷の街にある大学とイスラエルの大学で建築を学び、その後、イスラエルの首都にある芸術の専門学校で絵画も学んでいます。学業を終え、イスラエルの兵役を終えた後の1959年に大学時代の友人と恩師でもある人物と共に、建築事務所をテルアビブに共同開設しています。その事務所は多くの企画を手掛けていましたが、友人が去り、恩師が亡くなった後に彼自身の事務所を設立しています。芸術も学んだ彼は自身の事を「建築家を仕事としている芸術家」だと言っていました。彼の作品には、美しい配置になっている建築物がいくつもあり、建物そのものも彫刻のような印象を与えるものがあります。そのように幾何学模様を加えた建物が彼の作品の特徴の一つとなっています。1991年にドイツに移り、事務所もベルリンに移設しています。そこで、彼の出自にも関わるユダヤ人に関するいくつもの企画を手掛けていました。高齢の域に達しても第一線で活動していましたが、2023年に92歳で多くの企画を残したまま亡くなっています。

「ラモット ポリン」の所在地

 

「ラモット ポリン」は、アラビア半島の北に位置し地中海にも面しているイスラエル国のエルサレムに建設されています。エルサレムは複数の宗教の聖地であることで、古くから紛争の中心となっています。幾度も攻撃や包囲、占領されたり、奪還されたり、また、過去に2回は街が破壊されています。およそ5,000年以上も前から人々が集団で暮らしていた痕跡がある場所で、世界最古の都市の1つに数えられています。「ラモット ポリン」が建つのは、エルサレムの中心より北西にあるラモットと呼ばれるイスラエル人の入植地とされる所です。国際的には扱いの難しい地区で、20世紀の後半から住宅地として開発が進められてきました。紛争が絶え間ない地域ですが、そのころにはイスラエルの生活水準も高くなっていて、「自分の家を持つ」と言う趣旨の計画が推進されていました。ラモットとはヘブライ語で「高地」を表す単語で、近隣には自然公園が広がっています。公園には古代の遺跡が含まれ、渓谷や丘をめぐる自転車道やハイキングコースが整えられています。公園内の丘の上には、2001年に起きた同時多発テロの被害者を追悼する記念碑がイスラエルの彫刻家によって作られ、設置されています。台座にはツインタワーの残骸から採られたアルミニウムが使われていて、犠牲者の名前が刻印されています。

 

「ラモット ポリン」の特徴

 

「ラモット ポリン」は正五角形の面を持つ12面体で構成されている集合住宅です。全部で700戸以上もある、日本の昭和中期に建設された住宅団地のような印象を持つ住宅地になっています。1976年からおよそ10年かけて段階的に建設されました。住宅は様々な広さの部屋があり、その集合体が5から6棟でV字型に組み合わされ、それぞれ互い違いに設置されています。俯瞰で見た形状は、木の葉の葉脈に似て幾何学模様を得意としていた設計者の思いが浮かび上がっています。この形は5本の手指のようだとも形容されています。各戸は正五角形のコンクリートパネルが組み合わされて12面体となっていて、頑丈に作られています。この住宅は奇妙な建築物として注目を浴びましたが、実用的ではなかったようです。まず、部屋の中も五角形の延長で、家具の設置がしづらいことです。次に、屋外に向けての窓が小さく、下向きになっていたことから屋内が暗くなりがちでした。他にも、見た目より部屋が狭く、水平の床が少ないこともありました。このようなことから、実用的ではないことがわかり、ここに住んでいる人々は少しでも暮らしやすいように、常に思い思いの増築や改築を行っています。イスラエルの建築法が甘いこともあって「ラモット ポリン」は、現在も変化し続けています。

「ラモット ポリン」のまとめ

 

「ラモット ポリン」は12面体の住居を複数繋ぎ合わせた見た目が、ミツバチの巣に似ていたことから、「ミツバチの住居プロジェクト」とも呼ばれていました。設計者の実験的な斬新で奇抜な建物ですが、彼は完全な共同生活ができると信じていたようです。しかし、結果的に住みにくい家となって、住居人が窓を大きくしたり、バルコニーを広くしたりしています。このように「ラモット ポリン」に住む人々は、この建物をある意味で進化させていると言えるのではないでしょうか。

 

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