「ラグナ・ガルソン橋」のご紹介
古来より人々は知恵と力を出し合って川や谷を渡るために橋を架けてきました。渡る目的は様々ですが、こちら側からあちら側へと渡っていくことに違いはありません。近年では橋の形状に美しさを求めることもあります。また、橋を渡ることそのものが目的となっている場合もあります。「ラグナ・ガルソン橋」は美しい風景を楽しむことができる、ラグーンに架けられた円形の橋です。
「ラグナ・ガルソン橋」の設計者
「ラグナ・ガルソン橋」のデザインと設計を手掛けたのは、南米のウルグアイ出身でアメリカの国籍も持つ建築家のラファエル・ヴィニオリ・ベセイロです。1944年に演出家の父と教師の母の元に生まれ、隣国のアルゼンチンで育ちました。アルゼンチンの首都であるブエノスアイレスの大学で建築と都市計画を学び、在学中に6人の仲間と共に建築事務所を共同で開設しています。この事務所は南米でも指折りの事務所に成長しています。30歳を過ぎて家族と共にアメリカへ移住し、翌年にはニューヨークで永住を決めて市民権を獲得しています。そのころ、短期間ではありますが、ハーバード大学の大学院で講師を務めています。1983年に独立した彼自身の建築事務所をニューヨークに開設しています。設立当初から比較的大きな企画を手掛けていて、間もなく世界へ向けて活躍の場を広げていきました。設立から6年後には、東京の大型公共施設の国際建築設計競技会で優勝し、その施設は20世紀も終わりに差し掛かった頃に完成しています。彼は建築には機能性を重視することが大事だと考えていました。彼の作品は高い評価を受けている物が数多くありますが、中には物議を醸しだした建物もあります。複数の国の建築家協会の会員にもなっていた彼は、2023年の春に78歳で人生の幕を閉じています。
「ラグナ・ガルソン橋」の所在地
「ラグナ・ガルソン橋」は、南米大陸の東側、南大西洋に面するウルグアイ東方共和国のラグーナガルソンに架かっています。ウルグアイ東方共和国は、ブラジルの南端とアルゼンチンの東側に接している南米大陸の中では面積の小さい国です。首都のモンテビデオから直線で東に約150kmほどに位置するラグーナガルソンは、大西洋とわずかな砂州で隔てられているラグーンで、ガルソンと言う小さな村に含まれています。この村の設立がいつだったのか正確な記録は残っていませんが、19世紀の終わりころにスペインからの移民がこの地に腰を落ち着けた様です。村の産業は農業と花崗岩の採石が担っています。近年、「ラグナ・ガルソン橋」の近くの水の上に宿泊施設が出来たことで、村を訪れる観光客も増えています。ラグーナガルソンは、高い波や潮の満ち引きによって海水も入り、ガルソン川の淡水と混じりあって特徴的な生物相を育んでいます。このラグーンの最大の特徴は多種の鳥類が生息したり渡ってきたりしていることです。この水辺で見られる多くの鳥の中には稀少な種もいて、国際的な鳥類保護機関が定める重要な鳥類保護区に指定されています。また、鳥の餌にもなっている魚類や甲殻類も数多く生息しています。
「ラグナ・ガルソン橋」の特徴
「ラグナ・ガルソン橋」は、建設された場所がこの地の自然環境を守るとこが重要課題であったことから、車が必然的にゆっくり走るように作られた円形の橋です。橋の両端は普通の片側1車線の道路ですが、橋を渡り始めると左右に分かれ、自動車は一方通行になります。橋の中央は車道で、両端は歩道になっています。陸から直線で始まった橋は、二手に分かれる手前に横断歩道が作られていて、歩行者は円の内側の風景も外側の景色も楽しめるようになっています。歩行者の安全のために、車道と歩道の間には腰の高さくらいのコンクリートの壁が作られています。路面は通常の水面から約4m高さになっていて、円の直径は約100mで、カーブがかなり急になるためドライバーは速度を上げることができないようになっています。橋の建設はラグーンが浅いことから、仕切りを設置して水を抜き、東西に半分づつ基礎の工事が行われました。橋を支える太さが異なる3種類の杭が16本、約20mの間隔で基礎として打ち込まれています。橋の本体は、工場で形成された12個の部分に分けて作られ、建設現場で繋ぎ合わされました。この部品は特別なコンクリートで作られています。長い間多くの車が通行すると、その荷重などによってコンクリートにひび割れや大きな劣化が現れてきます。上からの荷重がかかると横に伸びる性質があり、コンクリートは引っ張られる力に弱い性質があります。その性質を打ち消すために、あらかじめ圧力をかけて強度と耐久性を上げたコンクリートの部材を工場で作っています。「ラグナ・ガルソン橋」は、自然環境の保護と観光地であることの両方の条件を満たした上で、耐久性を上げることにも留意しています。
「ラグナ・ガルソン橋」のまとめ
「ラグナ・ガルソン橋」が建設されるまでは、自動車が2台乗せられる小さないかだのようなフェリーが運行していました。しかし、日中に限られ、天候が悪いときは運休となっていました。この橋が完成したことで、多くの人や車が時間や多少の天候の良し悪しに関係なく通行できるようになりました。そのような実際的な事ばかりでなく、橋の形状が珍しく、周囲の風景も素晴らしいことから新たな観光名所にもなっています。
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