「モントルイユ音楽院」のご紹介
都市の喧騒の中で静寂を求めることは難しいのではないでしょうか。静かな部屋を求める目的にも様々ありますが、音楽を学ぶ者にとって都会が発する色々な物音は雑音でしかありません。フランスの首都に隣接する街に作られた、音楽を学ぶための学校には楽器や声楽の練習をするための快適な部屋は独創的な形をしています。「モントルイユ音楽院」は、大きなチューブを重ねたような形をしています。
「モントルイユ音楽院」の設計者
「モントルイユ音楽院」を手掛けたのは、フランス人建築家のクロード・ル・ゴアスです。彼は1928年にフランス中西部にあるブロワと言う街で貿易商の父の元に生まれました。パリにある建築の専門学校で建築を学び、23歳で建築士の国の正式な資格を取得して活動を始めました。彼は、建物の設計より都市計画に才能が秀でていたようで、「都市の中に都市を造る」という概念で首都パリの隣にあるモントレイユの街を改修する仕事に30年以上も携わっていました。その仕事に取り掛かって間もなく、2人の建築家と共に都市計画の事務所を構えています。次第に事務所のスタッフが増え、大きくなってきた会社を都市計画と建築、研究の3つに分け、それを統合する、都市計画と建築のアトリエ「ATURBA」を設立しています。パリの衛星都市となっているモントレイユの街を総合的に開発、改修することが目的となっていましたが、この街だけでなく、他の国にも研究の成果を差し伸べています。彼の会社はチームワークを大事にしていて、若いスタッフの手助けをし、建築士の資格を獲得できるようにしています。また、近年では当たり前になっているコンピュータを使った設計や構造計算などの支援システムを構築する研究も行っています。1990年にモントレイユ都市計画の相談役を降りた後も、様々な機関や団体などの都市計画の相談役として活動していました。街の発展に尽力していた彼は、2007年に79歳でこの世を去っています。
「モントルイユ音楽院」の所在地
「モントルイユ音楽院」は、フランス共和国の首都パリの東側に位置するモントレイユ市に建っています。古来よりフランスの中心であったパリに付随する地域として、中世の頃に王の家臣が統治する場所でした。パリを中心とする周辺の村と同様、都市に食料を供給するために農業が行われていました。石灰質の土壌がワイン製造のためのブドウの栽培に適していました。他にも桃が特産となっていて、王宮に提供する高品質の桃が収穫されていました。17世紀の頃に桃の木を寒さや風から守るために、果樹園の中に壁が作られてまるで巨大な迷路のようになっていました。しかし、その壁のお陰で収穫量が増え、品質も向上しました。モントルイユの桃はとても有名になって、近年までヨーロッパの多くの王家に提供されていました。フランス革命の後には王家や貴族に依存した農業が衰退して、パリの近くであったこともあって、モントレイユも荒廃していきました。19世紀には産業の形態が代わり、この地域の地下から石膏が採掘されるようになって、レンガや漆喰に利用されるようになりました。特に木造住宅の火災を防止するために漆喰を利用することが推奨され、暫くは石膏の採掘が続けられていました。また、木材の加工も盛んに行われるようになり、おもちゃなどが製造されていました。最近では、大都市の喧騒を逃れるために静かな生活を送りたいと考える人々が移住する目的地となっています。
「モントルイユ音楽院」の特徴
「モントルイユ音楽院」は1976年に完成した音楽学校で、基本的には鉄骨と鉄筋で補強されたコンクリートの建物です。その中で1番注意を引く建物が14の部屋がある音楽室です。その建物は、角の取れた四角い物体の一端がガラスになっているので、空を映している姿が、積み重なった昭和中期のブラウン管テレビのように見えます。鉄骨で組まれた柱と梁の間に赤い筒状の箱が組み込まれていて、骨組みの内、正面から見る柱は天を指すように建物の上まで突き出ています。特徴的な筒状の部屋は、角を丸くした四角い形状で、細長い部屋になっています。外側は金属板で作られて樹脂でコーティングされています。当時でも腐食に強いコルテン鋼がありましたが、設計者はあえてその素材を使わずに外側をコルテン鋼に似た赤い色に塗装しています。屋内は防音と防火性の高いグラスウールと鉱物性の繊維が使われ、内壁は木材が使用されています。窓は各部屋に1個所ずつですが、細長い部屋の一端に大きな窓があって、屋内はとても明るくなっています。音楽の練習室がこのような形にされた1番の目的は、外部の音と各部屋から出る音が互いに干渉しないことです。完全防音の部屋を作ることは可能ですが、小さくまとめることは難しくなります。14ある各部屋は完全に独立しているので、若干の防音設備を整えれば互いの部屋同士の音の干渉はありません。
「モントルイユ音楽院」のまとめ
「モントルイユ音楽院」は建設から長い時間が経過していたことから、改修と改装の工事が行われました。4年の間使用が出来ない状態でしたが、2024年の秋に工事が終わり、外観も塗りなおされて、およそ半世紀ぶりに綺麗な姿に戻っています。現在、この音楽院は名称が変わって、ドイツの舞踊家であり、振付師でもある「ピナ・バウシュ」の名前が冠されています。
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