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「アルマンナユヴェット亜鉛鉱山博物館」のご紹介
北欧の山中にわずか20年足らずの間だけ採掘されていた鉱山があります。時代の流れの中で閉山して100年以上が経ってから、その歴史を残そうとした施設が建設されました。山と渓流の中にじっと立ち止まっているような印象を持っている施設が2016年に完成した「アルマンナユヴェット亜鉛鉱山博物館」です。
「アルマンナユヴェット亜鉛鉱山博物館」の設計者
「アルマンナユヴェット亜鉛鉱山博物館」を手掛けたのは、スイスの建築家ピーター・ズントー(ペーター・ツムトーア)です。彼は1943年にスイスの北部、ドイツとフランスの国境に近い都市のバーゼルで生まれました。父親は家具製作の職人で、小さいころから父親の仕事ぶりを見て育ち、家具製作の技術も習得しました。幼少期とごく若い頃のこのような環境は、後の彼の建築に対する理念に繋がっています。地元の大学とアメリカ、ニューヨークの大学で、デザインや建築を学びました。学業を終えて約10年間はスイス東部にある町にある、グラウビュンデン州の文化的、歴史的に重要な建造物の修復や保護のための部門で働いていました。1978年に芸術家や建築家などの専門家の団体である、全国で約850名の会員を擁するスイス工作連盟の地方グループをグラウビュンデンに設立することに関わっています。その翌年の1979年に自らの事務所をそれまで働いていた場所に近い小さな村に開設しました。彼は、建築依頼を受けてから完成するまでに時間のかかる事が多くあります。それには、大きく分けて2つの理由があります。1つは建築物の目的と建設地の環境を十分に吟味していることが挙げられます。もう1つは、職人技と素材に対するこだわりがあり、このことの根底には父親の職業と幼少期の経験があるようです。このようなことから、彼の作品には似通ったところがなく、作品の数もあまり多くはありません。その為、彼の世界的な知名度はさほど高くはありませんが、建築界に大きな影響も与えていて、2009年には建築界のノーベル賞と謳われるプリッカー賞を受賞しています。
「アルマンナユヴェット亜鉛鉱山博物館」の所在地
「アルマンナユヴェット亜鉛鉱山博物館」は、ノルウェー王国の南部に位置するサウダと言う町に建設されています。サウダは、北欧に多く見られる地形のフィヨルドの1つサウダフィヨルドの最奥にある町です。フィヨルドの最奥に位置していてことから、古くから港が開かれ、交易の場として栄えてきましたが、それでも小さな農村でした。中世の頃には農業と木材産業がこの町の経済を担っていました。フィヨルドに注ぐ2つの川にはいくつかの滝があり、豊富な水を必要とするパルプの製造に適していたことで、複数の製紙工場が操業していました。19世紀の後半に町を流れるストレルヴァ川の上流で亜鉛の鉱脈が見つかり、採掘が行われるようになりました。アルマンナユヴェット鉱山で採掘された亜鉛を運搬するために町の港も大きくなりました。しかし、鉱脈の衰退と市場価格の変動などで、鉱山は20年弱で閉山してしまいました。それでも、その当時は国の亜鉛産出と輸出の大半をこの鉱山が担っていました。20世紀に入って製錬所が建設され、鉱山の閉山で衰退しかけた町は再び活力を取り戻し人口も増えてきました。現在は電力施設の企画もあり、20世紀の終わりころには村から町へと昇格しています。
「アルマンナユヴェット亜鉛鉱山博物館」の特徴
「アルマンナユヴェット亜鉛鉱山博物館」は、19世紀に操業していた亜鉛鉱山の跡地に点在する複数の小さな小屋のような建物で構成されています。鉱山には細い未舗装の道しかなく、川に向かって崖のようになっている場所もあります。小屋はそのような山の斜面や石垣にへばりつくように作られています。岩や斜面に取り付けられた基礎から最高地点で地面から18mの木製の柱が伸びて、小屋を乗せる形になっています。とても不安定で危険な場所に建設されているので、特に博物館とカフェの建物は、サイズの小さい建物ですが、国の最も厳しい基準に沿った安全を確保できる基礎となっています。建物の外装は、黒い黄麻布(こうまふ、ジュート布)で覆われています。この生地は麻の1種、黄麻を原料としていて、古くからコーヒー豆や穀物を入れていた麻袋の生地と同じで、伸びにくく丈夫な生地です。この生地に防腐作用のある石炭から抽出されるクレオソート油がしみ込ませてあるので、黒い色になっています。内壁は地元や近隣で伐採された松材の合板が使われています。内壁も坑道を思い起こさせる黒い色になっています。屋根は、基礎から伸びる柱が小屋を包み、そのまま伸びて乗せるように取り付けられています。屋根と扉の1部、全ての扉のドアハンドルは亜鉛が使われていますが、これは設計者のこだわりがあり、特にドアハンドルのデザインには時間がかけられています。
「アルマンナユヴェット亜鉛鉱山博物館」のまとめ
設計者は当初、建物の外壁をコバルトブルーにしようと考えていたようです。しかし、閉山した鉱山を紹介するための建物であると言うことと、周囲の山や川の印象にそぐわないと感じたことから、黒い色にされました。博物館には当時使われていた道具などが展示され、カフェは椅子に腰かけた時にちょうどよい低い位置に大きなガラス窓が取り付けられ、渓谷の景色を見ることができます。100年以上前の鉱山労働は過酷であったに違いありません。設計者はそのことも踏まえて、「私たちは、何をするにしても質素にしようと思った。貧乏ではなく、質素に」と言っています。「アルマンナユヴェット亜鉛鉱山博物館」は、その言葉の通り、簡素な姿で山々の中に佇んでいます。
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