高松市屋島山上交流拠点施設 やしまーる(Yashima Mountain-top Park)

「高松市屋島山上交流拠点施設 やしまーる」のご紹介

 

栄枯盛衰ということわざがあります。全ての物事は栄える時もあり、衰える時もあることを表しています。人気のある観光地でも、時代の流れによって人々の関心が薄くなり、次第に訪れる人が少なくなった所がいくつもあります。しかし、そのような場所でも知恵と工夫を凝らして生まれ変わらせることも可能です。瀬戸内海の海や島を一望できる山の上に建設された「やしまーる」は、山の自然に付け加えられた新しい風景です。

「やしまーる」の設計者

 

「やしまーる」の建設にあたっては、日本を代表する幾人かの建築家も参加した建築設計競技会が行われました。そして、見事採用された作品を提出したのは、新進気鋭の周防 貴之(すおう たかし)で、滋賀県出身の1980年生まれです。慶応義塾大学に入学しましたが、当時は建築を専門に学べる学部や科がありませんでした。入学後にできた建築コースに進みましたが、建築家になりたいと強く希望したことは無かったそうです。しかし、彼が生まれた家には建築に関する書籍がいくつもあり、感覚的に建築設計をやってみたいとは思っていたようです。建築設計を学び始めたころに、現代の日本を代表する建築家の1人、妹島和世(せじま かずよ)が主宰する研究室に入りました。大学を卒業してからは、彼女の運営する建築事務所に入社することができ、妹島和世が西沢立衛(にしざわ りゅうえ)と共に立ち上げたSANAA(サナア)にも参加しました。世界で活躍する彼らの元で、培った様々な事柄はその後の彼の建築に大きな影響を与えているようです。2015年に独立してSUOを設立してからは、多岐にわたる専門家と協働で施設の建設や、体験型の展示会であるインスタレーションを開催しています。彼の作り出す建築物は、自然との融合や調和を目指しています。また、時代遅れになって見捨てられたような場所やモノを蘇らせる企画を手掛けています。

「やしまーる」の所在地

 

「やしまーる」は、四国の香川県高松市にある高松市屋島山上交流拠点の施設として建設されました。高松市は香川県の県庁所在地で、瀬戸内海を挟んだ対岸は岡山市です。屋島は市の北東部に位置する小高く平らな山になっている場所です。1万年以上前の火山活動によって形成され、特殊な浸食によって出来上がったメサ型台地と呼ばれる地形をしています。標高が300m弱の台形をしていて、瀬戸内海の島々を見渡せる眺望の良い場所があり、飛鳥時代の城跡や源氏と平家が戦った古戦場があります。他にも8世紀の頃に建立されたと言われる屋島寺があり、本堂や観音像、梵鐘が重要文化財に指定されています。地名が示す通り、江戸時代の初めころまではわずかな海峡を隔てた島でしたが、およそ400年前ころから塩田や干拓によって陸続きとなりました。しかし、島であった時の事を惜しんだ藩主が命じて水路を建設しました。その水路は相引川という名称で現在も残り、この川によって再び陸地と離れました。その為、管轄する省庁によっては、屋島が陸続きと扱われたり、島として管理されたりしています。山頂からは瀬戸内海を一望できる見晴らしの良い場所がありますが、20世紀後半の賑わいを最後に、21世紀に入った頃には閑散としていました。10年ほど経った頃に地域再生の一環として屋島の活性化を進めることが決まり、山頂までの道路「屋島スカイウエィ」の建設や屋島山上交流拠点の建設が進められました。

 

「やしまーる」の特徴

 

2022年に完成した、山頂を渡る風のような印象を持たせた建物が「やしまーる」です。建設にあたっては、瀬戸内海国立公園の中に建設されることになっていたことから、様々な制約がありました。自治体が入札を行ってもなかなか建設業者が決まらず、数回の入札を経て建設が始まりました。山頂の緑の木々に囲まれた広場に建つ「やしまーる」は、緩やかな曲線を描き、広場を取り囲むように作られています。白く柔らかな印象のあるその姿は、昔話に出てくる天女の羽衣が風にたなびいているように見えます。中心部分が高くなっている切妻屋根が長く続いている形で、屋根瓦には、地元高松で産出する庵治石(あじいし)が使用されています。庵治石は、日系アメリカ人芸術家のイサム ノグチが作品の素材として好んで使っていた石で、日本では御影石の名で流通している花崗岩の1つです。きめの細かい庵治石が瓦として使用されたのは「やしまーる」の建設が初めてで、設計者のこだわりから建設現場の身近にある素材が選ばれました。34,000枚の庵治石瓦で屋根を拭くためには、形状の違いもあることから、瓦職人の素晴らしい技術が必要不可欠でした。白い屋根の下は、屋根を支える2,000本以上の鋼鉄製の梁や柱があり、ガラスの回廊になっていて、床面はコンクリートで作られています。山頂の広場とは言え、全くの平坦地ではなく、地形の高低差をそのまま利用して作られているので、床面が地面の高さそのままの所から最高点では地上3mの高さになっています。加えて、床は水平ではなく、穏やかな傾斜が付けられています。壁のガラスも約2mの幅は一緒ですが、高さが違っています。

「やしまーる」のまとめ

 

西暦2000年を迎えるまでは、屋島山頂に宿泊施設やお土産物店などが営業していました。しかし、賑わいのなくなったこの場所は廃墟のようになった廃業したホテルなどが残されていました。屋島の活性化のために建設された「やしまーる」は、素晴らしい景観を望めるこの場所に新たな息吹を与えることが出来たのではないでしょうか。

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