ヴチェドル考古学博物館(Vucedol Archaeological Museum)

「ヴチェドル考古学博物館」のご紹介

 

人の歴史上で様々な文明が栄えていた痕跡を見つけることと、それらを考察する学問が考古学です。太古の文明には大きな影響力のあったものもありますが、素晴らしい技術と知恵を持ちながら、狭い範囲だけで完結した文明もあります。ヴチェドル文化は、現在の中央ヨーロッパから東ヨーロッパにかけての比較的狭い範囲で栄えていた文明です。その遺跡を見学するためには、「ヴチェドル考古学博物館」を一巡りする必要があります。

「ヴチェドル考古学博物館」の設計者

 

「ヴチェドル考古学博物館」を手掛けたのは、クロアチアの現代建築をけん引する建築家のゴラン・ラコです。彼は、1952年にクロアチア南部のボスニアヘルツェゴビナと国境を接するイモツキと言う町で生まれました。首都ザグレブの大学で建築を学び、最近までの20年以上を母校で後進のために教鞭を執っていました。大学を卒業した後には、都市開発の会社にデザイナーとして勤務していました。その後もいくつかの建築事務所で経験を積み、2003年に独立して自身の事務所を設立しました。彼は、美術館や博物館を数多く手掛けています。建築に対しての理念としては、自らの経験から「建物そのものではなく、中身が大事」だと言っています。建物そのものが立派だったり、有名な建築家が手掛けたものだと言うだけで、価値が上がり、その建物の目的に人の目が届かないことが散見されたことを憂えていました。特に彼の得意な美術館や博物館においては、そのことが顕著に現れてきます。例えば、博物館だったら、訪れた人がそこに収蔵される様々な物品に注目できるような建物にしたいと考えているようです。他にも、多くの人が利用するような公共施設を手掛けていて、日本の奈良市が行った国際会議場の建築設計競技会で、1位を獲得したこともあります。

「ヴチェドル考古学博物館」の所在地

 

「ヴチェドル考古学博物館」は、クロアチア共和国の東端に位置するヴコヴァルと言う街に建っています。クロアチアは、対岸にイタリア半島を望むアドリア海の東岸にある国です。この国は、共和制国家となった1991年に独立するまでは、現在の周囲の国々と共に、様々な政治形態が執り行われていたいくつもの国家の1部でした。ヴコヴァルは隣国のセルビアとの国境に接する街です。この街はヨーロッパで2番目に長く、10カ国以上を通り、黒海に注ぐドナウ川の右岸に広がっています。そして、この川が国境の役割も果たしています。また、ドナウ川の支流の1つであるヴカ川も流れ、中世の終わりころまではヴコヴォと呼ばれていて、現在の街の名称の由来ともなっています。この街には、新石器時代の遺跡があり、およそ5,000年前から人々が集落を作って暮らしていたことが分かっています。中世の頃からは、ドナウ川を利用した水運によって栄てきました。19世紀になると蒸気船が導入されて更に発展し、ヴコヴァルの河川港は益々重要な交易の拠点となってきました。現在もこの港は国内で最大の河川港であり、ヴコヴァルの街はドナウ川沿いで国内最大の街となっています。

 

「ヴチェドル考古学博物館」の特徴

 

2013年に完成した「ヴチェドル考古学博物館」の建設には約10年の歳月が費やされました。ドナウ川の岸辺に近い小高い丘の上にある遺跡を見学するためには、博物館の中を通る道と、屋根を兼ねた遊歩道のような緩やかな斜路を通る道があります。博物館そのものは、外からでは建物があるようには見えません。丘の上に続くスロープがあるだけのように見えます。丘の上までは約20mの高低差があり、傾斜の緩やかな小道のようになっている外観と、館内も下から順番に、この遺跡の説明や発掘された遺物が展示されている空間をゆっくりと上に登りながら見学していけるようになっています。設計者が語るように、博物館の外観ではなく、収蔵物にふさわしい建物を作るために、遺跡のある丘と同化した建築を目指しました。建物そのものは、丘の内部に収容されたような形になっていて、外からみえるのは、1連の窓とわずかに見える外壁だけとなっています。外壁も丘の地面と同じような色のレンガが使用されています。レンガの外壁の下には窓が連なっていますが、屋内から見ると高さが違っています。展示スペースの高さと窓の高さは一致していないので、窓が高い所にある部屋や、足元に近い位置になっている部屋があります。また、館内がほぼ地下であることから、自然の明るさを提供するために天窓が取り付けられている部分もあります。屋内の壁は装飾性のないむき出しのコンクリートで、床は暖か味のある色合いのオーク材が使用されています。

「ヴチェドル考古学博物館」のまとめ

 

19世紀の終わりころに発見された太古の遺跡は、およそ100年後に本格的に発掘や調査が行われるようになりました。その時にはすでに、博物館を建設する構想が持ち上がっていましたが、政治的な不安定などによって延び延びになっていました。ヴチェドル文化と名付けられたその文明は、地球上で最古の文明と言われるシュメール文明にも匹敵する古い時代のもので、精巧な陶器が数多く出土しています。「ヴチェドル考古学博物館」は、太古の英知を知らしめるために設計者が意図した通りの、人目を惹かない建物となっているのではないでしょうか。

 

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