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「マルセイユのユニテ・ダビタシオン」のご紹介
第二次世界大戦が終わり、戦後の混乱も収まった頃は日本は元より世界中で復興のために経済が活性化して高度成長期を迎えました。
そんな1950年代に「ユニテ・ダビタシオン」と言う名称の集合住宅が、ヨーロッパの各地でいくつか建設されました。
「マルセイユのユニテ・ダビタシオン」はその第一号の建物です。
「マルセイユのユニテ・ダビタシオン」の設計者
スイスで生まれ、スイスとフランスの二つの国籍を持つル・コルビュジエが「ユニテ・ダビタシオン」の設計者です。
才能豊かで素晴らしい閃きを持って、当時の建築界に新しい風を送り込んだ人物です。
現場で覚えた数々の事柄や、ヨーロッパの各地で見聞を広めたことで建築における様々な理論を発表し、実践してきました。
その中の一つである「モデュロール」と言う方式を使って設計されたのが「ユニテ・ダビタシオン」です。
モデュロールは、フランス語で寸法と黄金比の意味である単語を合体させてル・コルビュジエが作った建築用語となった言葉です。
人が片手を上げた高さなど、人体の数学的な寸法を元に様々な比率を導き出し、扉や窓など建物の様々な部分のサイズを決めて設計する方法です。
今でも世界中でこの理論が応用されています。
「マルセイユのユニテ・ダビタシオン」の所在地
フランス共和国の南部、地中海に面した港湾都市がマルセイユです。
フランス最大で、地中海沿岸の各国の港の中でも広さや設備、貨物の取り扱い数量から見ても屈指の港を備えています。
紀元前から人が住み、恵まれた地形を利用して良い港が作られ、古くから交易の中心地として栄えてきました。
そのような経緯から商工業が発展した都市となり、必然的に第二次世界大戦では敵方に狙われる地域にもなりました。
大きな損害を受け、荒れ地同然になってしまいましたが、復興を担う商工業都市であった為にいち早く都市の再建が行われました。
当時では最新の建築様式を取り入れた高層ビルが立ち並ぶ未来的な街並みが築き上げられました。
「マルセイユのユニテ・ダビタシオン」の特徴
1952年に完成した集合住宅のユニテ・ダビタシオンは、18階で337戸の住宅が入るように作られました。
設計者であるル・コルビュジエが得意としたピロティ方式が使われていますが、大規模な建築物となったので建物を支える柱がとても太くなっています。
日本で出土している「遮光式土偶」の足の様なずんぐりとした形をしています。
外観はコンクリートの打ち出しなので壁が灰色をしていますが、各戸のバルコニーの境などに赤や黄色、青など原色の色使いがされていて、とてもスタイリッシュです。
特徴的な構造は各戸の出入り口、いわゆる玄関部分や共用の廊下が屋内に設置してあると言うことです。
各階の中央に廊下がありその両側に各戸の玄関があります。
従ってどの部屋も大きな窓を作ることが出来、明るい室内となっています。
共用廊下部分は常に人工照明を使わないと明るくなりませんが、玄関の扉も原色系の色が使われていて暗いイメージが払拭されています。
「マルセイユのユニテ・ダビタシオン」のまとめ
復興期の住宅不足を解消するために建設された「ユニテ・ダビタシオン」ですが、完成当初は賛否両論あったようです。
レストランや食料品店が入り、郵便局も入居していたことで住人には非常に好評だったようです。
しかし、一部の団体などからは画期的な集合住宅を批判する声もありました。
現在は4階部分が「ル・コルビュジエ」と言う住人の気分が味わえるホテルになっています。
もちろん今でも普通に住居として多くの人々が住んでいます。「ユニテ・ダビタシオン」の目の前のバス停は「ル・コルビュジエ」と言う名称になっています。
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