リヨン・クレジット・タワー(Tour de Credit Lyonnais)

「リヨン・クレジットタワー」のご紹介

 

 

 

 

 

 

 

 

新興の都市には、その存在を知らしめるものが必要になってきます。知名度を上げるためにイベントを催したり、新名所を作ったりすることもあります。フランスの北部にある街は、ランドマークとなりうる建物がこの地の名前を広める役割も果たしています。「リヨン・クレジットタワー」は建てられている場所がちょっと変わっています。

「リヨン・クレジットタワー」の設計者

「リヨン・クレジットタワー」は、建築家のクリスチャン・ド・ポルザンパルクが手掛けました。彼は1944年、当時フランスの領土であったモロッコ最大の都市、カサブランカで貴族の家系に生まれました。18歳の時にパリの美術学校で建築の勉強を始め、その間の20代前半にアメリカへ渡り、大学で3年間建築を学び、帰国後フランスの学校を卒業しました。1980年に自らの事務所を開設し、建築家として活動を始めました。芸術家でもある彼の作品は、新たな風景を作り出す役割を果たしています。彼は、都市計画の観点から、見た目や周りの環境との調和も重視していますが、使いやすさや心地よさなどを一番の重点として設計しています。「住んでみて幸せを感じることが一番大事」だと彼は言っています。建築家に贈られるノーベル賞と言われるプリッカー賞を50歳と言う若さで受賞していますが、フランス人の建築家としては初めての受賞と言う快挙を成し遂げています。他にも数々の賞を受賞し、都市計画に於いても優秀なものを創造しています。彼の妻も建築家であり、都市計画家です。

「リヨン・クレジットタワー」の所在地

フランス共和国の北部にあるリールと言う都市は、中央ヨーロッパの三国を繋ぐ交通の要所となっていて、北の玄関と呼ばれています。紀元前数千年には人が暮らしていた痕跡がありますが、街としては7世紀に作られたと言われています。この街は、首都のパリから高速鉄道であるTGVで約1時間の距離にあります。また、国境を接しているベルギーの首都、ブリュッセルまではタリスと呼ばれる同じく高速鉄道で約40分、イギリスのロンドンまで英仏海峡トンネルを通って約1時間半で着きます。このような国際交通の中継点として、リール駅周辺の開発が行われました。ユーラリールと呼ばれる開発の一環で、オランダの著名な建築家が大まかなプランを作りました。そのうえで、ホテルや集合住宅、ショッピングセンター、コンサートホールなど、有名な建築家によるビルがいくつも建てられました。「リヨン・クレジットタワー」もその建物の一つです。

「リヨン・クレジットタワー」の特徴

「リヨン・クレジットタワー」は、1995年に完成した巨大なLの形をしたビルで、地上22階建てのリール市内で一番高い建物です。地元の人々は「リール(Lille)のL」、または「スキーブーツ」やピンボール台のボールを打ち返す部品「フリッパー」と親しみを込めて呼んでいます。一番の特徴は駅を跨ぐように建てられていることです。よくある駅ビルとは違い、まったく別の建物が駅構内の上に建っています。地下鉄や地下駐車場、地上の鉄道駅舎を跨ぐために、長さ70m、地下からの高さ100mの橋を作り、その上に「リヨン・クレジットタワー」を載せるように作られています。のことは、敷地の有効活用の為と、地元の建築に於ける基準をクリアするための解決策でした。L字の高い方は北東側から見ると、上層階の方が広くなっていて、駅の方から垂直側を見るとわずかに狭くなっています。また、L字の下の部分は、低い側に行くに従って階層も少なくなっています。このように直線で作られたビルですが、外観に水平や垂直の面が無いことから、見た目がちょっと不思議な建物となっています。「リヨン」の名を冠していますが、都市のリヨンではなく、フランスの大手銀行の名前で、言うなれば「リヨン銀行ビル」の様なものです。

 

「リヨン・クレジットタワー」のまとめ

ランドマークになり得るビルですが、駅舎を踏んづけているように見えるので、駅が潰れないかとちょっと心配になります。どこの街でも駅の周辺はその街の玄関口になるので、開発も積極的に行っています。しかし、建物を建てるのには土地が必要になってくるのは当然です。大きなビルを作るのではなく、別の建物を重ねるように作ったことは、一つの新しい試みと言えるのではないでしょうか。この建物はオフィスビルなので、通常は関係者以外立ち入ることはできませんが、毎年9月の第3週末に行われる「ヨーロッパ文化遺産の日」には、様々な建築物が一般公開されるので、その日だけは屋内を見学できるようです。

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