「ティートゲン寮」のご紹介
およそ800年前から、現在も多くの人々が住んでいる特徴的な集合住宅が中国の南東部にあります。ユネスコの世界遺産にも登録されている「福建土楼(ふっけんどろう)」から着想を得た建物が北欧の都市に建設されました。「ティートゲン寮」は多くの学生が住む手目に建設された、中心をくり抜いた円筒形の建物です。
「ティートゲン寮」の設計者
「ティートゲン寮」を手掛けたのは、デンマークのコペンハーゲンに事務所を置くルンドガード&トランベルグ建築事務所です。この事務所はボージェ・ルンドガードとレーネ・トランベルグの2人のデンマーク人建築家が共同で設立しました。ボージェ・ルンドガードは1943年に首都コペンハーゲンの北にある町で教育者の息子として生まれました。王立の芸術学校で建築を学んだ後に、国内の著名な幾人かの建築家の元で経験を積みました。レーネ・トランベルグは1956年にコペンハーゲンで生まれ、ルンドガードと同じく王立の芸術学校で建築を学びました。学校を出てからは、学生時代に師事した教授の元や世界的に名高いデンマークの建築家の元で建築家として活動を始めました。2人は国で3番目に大きな街の大規模開発企画の建築競技会に共同で参加して、見事優勝を勝ち取り、そのことがきっかけで1985年に事務所を創設しました。彼らは建築を全ての人に関りのある事柄だと考えていて、優れた建築は人々を魅了し、社会にも貢献すると言っています。また、環境や地域など様々な事柄を受け入れることができるものでなければいけないとも考えています。会社を創設してから着実に実績を上げ、国内だけでなく近隣の国々の企画も進めていましたが、2004年にボージェ・ルンドガードが60歳と言う若さで急逝しました。彼は当時進行中だったいくつかの企画が完成するところを見ることはありませんでした。会社名はそのままに、現在はレーネ・トランベルグが事務所を率いています。
「ティートゲン寮」の所在地
デンマーク王国の首都コペンハーゲンにある新しく開発された地域に「ティートゲン寮」が建設されました。デンマークは、バルト海と北海の間に突き出たユトランド半島と多くの島々で構成された国です。首都のコペンハーゲンは、最大の島であるシェラン島(英語読みでジーランド)とその隣のアマー島に広がっています。「ティートゲン寮」はそのアマー島の新しく開発されたオレスタッド地域に建っています。アマー島は現在、国内で最も人口密度の高い島で、首都圏がシェラン島を越えて広がるに従って開発が進んできました。アマー島には国で最大の空港がありますが、その北側に位置するオレスタッド地域は首都の鉄道駅にも数分で着き、隣国のスウェーデンの都市マルメまで30分はかからない距離で、北欧最大の交差点と呼ばれることもあります。昔は湿地の多い場所でしたが、20世紀の前半に様々な廃棄物などで埋め立てが行われました。埋め立てられた後、20世紀半ばまでは軍用地として使われていて、基地が移転してからは再び埋め立てが行われるようになりました。アマー島の南側は、そのような開発から護られている地域になっていて、海水の塩分を含む湿地帯や牧草地としての自然保護区になっています。アマーコモンと呼ばれる保護区には、EUで保護されるべき動植物に指定されている様々な生物が生息しています。
「ティートゲン寮」の特徴
「ティートゲン寮」は2006年に完成した学生寮です。漢民族の中の客家(はっか)と呼ばれる人々が、一族で暮らすために建設していた円形の集合住宅である土楼から設計者が発想を得た建物です。外敵から一族を守るためと、共同で支えあって暮らすために考案された中央が開けた空間になっている建物で、中庭を中心に円を描くように部屋が作られています。「ティートゲン寮」は学生たちが共同で問題に取り組んだり、議論する場も設けて、個人の空間と時間も護れるようになっています。7階建てで、1階には様々な共有スペースや建物を管理するための部屋などが作られています。上下移動できる場所は5個所あり、円の内側に通路があります。外観の2階以上には、窓やバルコニーが凸凹したような形で作られています。バルコニーは内側に作られていて、中庭の様子を伺うことができます。巨大な中空の筒状の建物なので、各部屋はわずかに外側に広がる少し細長い扇状になっています。各部屋には窓が1個所しかありませんが、大きく広い窓からは周囲の風景を望むことができるようです。外壁は、通常より亜鉛の含有量が少なく、銅の割合が高めになっているトムバックと呼ばれる真鍮の1種が使用されています。この素材は柔らかい金属なので、加工が容易く、腐食にも強い性質を持っています。外壁の1部には耐久性の高い木材のオークも使われていて、トムバックの色と混じりあうような色合いになっています。
「ティートゲン寮」のまとめ
2千年以上も前に使われ始めたと言われるシルクロードは、ユーラシア大陸を横断して様々な物や形に現れない文化などが洋の東西を行き来してきました。品物を運ぶ人々によって多様な習慣や文化、宗教も運ばれていたようです。そのように古来より異文化の交流が行われて、文化の融合も促されてきました。現在の都市の中では昔のような外敵の心配は少なくなっていますが、円と言う始まりも終わりもない形で、学生たちの個人と社会の繋がりを促すことは中国の土楼と通ずるところがあります。中国の土楼の形と意義から着想を得た「ティートゲン寮」は、洋の東西を融合した新しい形を具現化した建物と言えるのではないでしょうか。
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