スクールシスターズの多目的ホール(Schulschwestern Multi-purpose hall)

「スクールシスターズの多目的ホール」のご紹介

 

見る人によって多様な印象を持たせる建物があります。ヨーロッパの街に建設された建物の外観は、ある種のファンタシーに登場する生物のように見え、あるいは、空想科学小説に出てくる遠い惑星に住む動物の様でもあります。「スクールシスターズの多目的ホール」は様々な生物に例えられますが、屋内は色々な使用方法の目的に沿った作りになっています。

「スクールシスターズの多目的ホール」の設計者

 

「スクールシスターズの多目的ホール」を手掛けたのは、いずれもオーストリアの建築家である、ギュンター・ドメニグとアイルフリート・フートです。ギュンター・ドメニクは、1934年にオーストリア南部に位置する歴史ある都市で双子の兄として生まれました。国で第2の都市であるグラーツの工科大学で建築を学び、卒業後の数年間は助手として経験を積みました。その後、アイルフリート・フートと共同で建築事務所を開設して、公共の大規模な企画や施設を手掛けていました。10年間は2人で活動していましたが、その他にもオーストリアや近隣の国の建築家と共同で活動していました。1980年からはグラーツの工科大学で教授を務めていました。近代建築の様式の変化に影響を与える作品も生み出してきた彼は、2012年にグラーツで77年の人生を終えています。アイルフリート・フートは1930年にインドネシアのジャワ島にある町で生まれ、グラーツの大学で建築を学びました。卒業後は国内の建築家の元で働き、数年後にギュンター・ドメニクと共に建築事務所を開設してグラーツとドイツの都市、ミュンヘンにオフィスを構えました。彼らはブルータリズムと呼ばれる建築様式の作品が多く、見た目が無骨な印象を与える建物を作り出していました。その他にも、20世紀半ば以降の時代の変化に応じた建築様式や独自の理念を持った作品が現在も残されています。

ギュンター・ドメニグ

アイルフリート・フート

「スクールシスターズの多目的ホール」の所在地

 

「スクールシスターズの多目的ホール」は中央ヨーロッパの内陸の国、オーストリア共和国のグラーツに建っています。この街は国の南東に位置し、首都のウィーンに次ぐ人口の多い都市です。街は、ヨーロッパで2番目に長い国際河川のドナウ川に繋がる、ムール川の両岸に街が広がっています。3方を標高が約400mほどの山々に囲まれたグラーツ盆地で、北方向はムール渓谷があり、南方向にグラーツ平野が広がっています。アルプス山脈の南東の端に位置することから、偏西風の影響を受けにくく、晴天の日が多い地域です。降水量は地球上の平均に近い量で、日本の平均の半分くらいです。雨は夏季に多く降っていて、気温は夏季でも20℃を少し上回るくらいですが、冬季には盆地であることから緯度の割には気温が低くなっています。街の特徴として挙げられるのは、国で2番目に古く、2番目に規模の大きなグラーツ大学を始め、複数の大学や専門の学校があり、住民の6人に1人が学生となっている学園都市です。複数ある大学は互いに連携を取っていて、教育課程の1部は共通の内容になっています。教育や文化の施設も充実していて、市立や州立の図書館や大学付属の図書館など、多くの図書館があります。他にも、規模の大きな博物館や美術館、劇場や音楽ホールなどがあります。また、様々な分野の研究機関が施設を置いています。

 

「スクールシスターズの多目的ホール」の特徴

 

1977年に完成した「スクールシスターズの多目的ホール」は、完成当初と現在の姿が違います。架空の生物のような印象を持つこの建物は、骨組みが金属の網にコンクリートを直接吹き付ける工法で作られています。完成当初はコンクリートの白っぽい色の滑らかな肌を持っているような見た目になっていました。屋根の中央部の尾根のような部分に、形を少しづつ変えた楕円形の天窓が取り付けられています。わずかに凸面になった天窓は、日中の屋内照明を減らす目的があります。側面にも庇が大きく張り出し、少し下向きになった角の円い四角の窓が、左右対称に作られていて、明るい室内を作り出しています。屋内は外殻を忠実に一致させた形で、まるで生物の胎内か、明るい洞窟のような柔らかな雰囲気になっています。外観が現在のようになった理由は、豪雨災害の影響です。通常の雨には耐えられるほどの防水処置はされていましたが、完成の10年後の豪雨の時に雨漏りが起こりました。そこで外壁にチタンと亜鉛の合金で作られた金属板が取り付けられることになりました。滑らかな外殻を厚みが0.7mmの特殊な金属板は、外壁に沿って細かな作業によって取り付けられました。完成当初は薄い色合いの滑らかな見た目でしたが、10年後に鎧のように見える外観となって新しい金属板が光り輝くようでした。現在は、年月と共に劣化はなくとも輝きが失せて、骨董品のような威厳のある外観になっています。

「スクールシスターズの多目的ホール」のまとめ

 

この建物が有機的な形になったのには理由があります。設計者は共に、モダニズムやブルータリズムなど無骨で簡素な印象の建物を得意としていました。そのような建物とは逆の意味合いを持つ有機的な形になった理由は、建物の使用目的にありました。宗教学校ではありますが、使用の目的が多目的だったことから、宗教色の無い中立的な外観にしたかったと設計者は語っています。年月と共に見た目の印象が変わった「スクールシスターズの多目的ホール」は、同一の建物でも進化できることの見本となったのではないでしょうか。

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