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目次しらべ
「ロバート・ブルーノのスチール ハウス」のご紹介
乾燥した地域の小高い丘の上に、じっと佇む生物のような見た目の建築物、若しくは芸術作品があります。自らの作品に住んでみたいと考えた芸術家が、人生のおよそ半分をその作品に費やしました。しかも、その作品を製作するために建設用の機械も考案して、そのクレーンを使用して建設を続けました。正に製作者そのものと言っても過言ではない家が「ロバート・ブルーノのスチール ハウス」です。
「ロバート・ブルーノのスチール ハウス」の設計者
「スチール ハウス」を作ったのは、芸術家で発明家、大学の教授もしていたアメリカ人のロバート・R・ブルーノ・ジュニアです。彼は、1945年にアメリカの西側にある大都市、ロサンゼルスで姉と妹のいる3人兄弟の真ん中として生まれました。幼い頃に両親が離婚したために、子供の頃はアメリカとメキシコを行き来する生活を送っていました。現在は廃校となったミシガン湖畔の街にあった学校で美術を学んだ彼は、鋼鉄を素材とした彫刻を得意としていました。大学を出てから色々な職業に就いていましたが、学生時代に知り合った妻と共にテキサス州に移り住んだのが、20代半ばです。テキサス工科大学の建築学部で美術とデザインを教えるためでしたが、彼は建築の専門的な教育は受けていませんでした。発明家として名を馳せたのは、妻への贈り物からです。妻が水道局に務めていたことから、灌漑用の革新的なバルブを考案しました。そのバルブを製造販売するために夫婦連名の会社を設立し、成功を納めています。実業家としての成功は、彼の夢であった「スチール ハウス」の建設のための費用が賄えることにつながりました。正式な建築の教育は受けていない彼が唯一設計した建物が、「スチール ハウス」の近くに建設されています。その家は、サグラダファミリアの設計者として有名なアントニ・ガウディの作品に発想を得た石で作られた家です。コツコツと1人で「スチール ハウス」を作っていた彼は、完全な姿を見ないまま、2008年に63歳と言うまだ若い人生を終えています。
「ロバート・ブルーノのスチール ハウス」の所在地
「ロバート・ブルーノのスチール ハウス」は、アメリカ合衆国の南部に位置するテキサス州のランサム・キャニオン湖を見下ろす丘の上に建っています。湖と同じ名前のランサム・キャニオンは小さな町で、テキサス州の中央より少し北にあるラボック郡に含まれる自治体です。ラボック郡は、19世紀の終わりころに設立された郡で、地名は南北戦争で活躍した軍人の名前をとって付けられています。この地域の気候は半乾燥気候で、年間の降水量は日本の梅雨の降水量と同じくらいです。気温は夏季でもあまり高温にはならず、30度を少し上回るくらいです。冬季は氷点下を下回ることもあり、雪が降ることもあります。特徴的な気象現象としては竜巻の発生頻度が多いことが挙げられます。アメリカ合衆国の中部では、竜巻が発生してから通る大まかな地域をトルネード・アレー(竜巻街道)と呼んでいます。いくつかの道がありますが、複数の道の最終点がこの地域に重なっていることから、特に春に激しい雷雨や大粒の雹が降ることがあります。このような気候の特徴があることから、ラボックの街は2013年に国で最も気象の厳しい街に選ばれています。「ロバート・ブルーノのスチール ハウス」の足元にあるランサム・キャニオン湖は、ブラゾフ川が様々な理由で幾度も堰き止められた結果生まれた湖で、北西には少し大きなバッファロー・スプリングス湖もあります。
「ロバート・ブルーノのスチール ハウス」の特徴
別の星、若しくは違う次元の4本足の生き物のような形をした、鋼鉄で作られた家が「ロバート・ブルーノのスチール ハウス」です。ランサムキャニオン湖を見下ろすように建てられたこの家は、名前の通り、全て廃材や端材の鋼鉄で作られた家で、100トン以上の材料が使われています。鋼鉄は、ロバート・ブルーノが彫刻の素材として好んで使っていた材料で、コルテン鋼と呼ばれる耐候性に優れた素材です。コルテン鋼は素材の劣化を遅らせる為に、あらかじめ特殊な錆を浮かせているので、赤錆色をしています。この色合いなので、尚更動物のように見えます。彼の彫刻作品と同じような形をしているので、直線的な部分はほとんど無く、内部も四角い部屋にはなっていません。いくつかの窓も楕円や半円に近い形で、ステンドグラスのようにガラスが分割して入れてあります。部屋は明確に壁で仕切られていませんが、部屋の部分には透明のガラスが使われ、階段などの横には色ガラスが使用されています。1973年に着手され、ロバート・ブルーノが1人で溶接作業をしながら作っていました。30年以上かけて手直しをしながら作業を続け、亡くなった時には外観はほぼ出来上がっていましたが、内装は未完成のままでした。また、図書室や水槽も設置する予定だったということでした。
「ロバート・ブルーノのスチール ハウス」のまとめ
「ロバート・ブルーノのスチール ハウス」は、その斬新な外観が様々な分野で活躍する人の眼についていました。アメリカの有名なファッション雑誌の撮影場所にも選ばれ、最新の服装でポーズをとるモデル達と良い相性を見せていたようです。この家を作るきっかけとなった彫刻作品は、建設者が教鞭を執っていたラボックにあるテキサス工科大学の建築学部の前に展示されています。「ロバート・ブルーノのスチール ハウス」は、製作者の遺作となりましたが、今でも異彩を放つ唯一無二の建物となっています。
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