「ティラナのピラミッド」のご紹介
アルバニアで最も高価な建物と言われていた博物館がありました。現在の国民にとっては過去の遺物とも言えるその建物は、建設当時にはとても美しい姿をしていました。負の遺産でもある建物は廃墟同然の姿になりましたが、それでも人々は取り壊すことを望みませんでした。そして、外観の形はそのまま残して、内容は未来のために作り変えられたのが「ティラナのピラミッド」です。
「ティラナのピラミッド」の設計者
「ティラナのピラミッド」の改築を手掛けたのは、3人の建築家が率いるオランダの建築事務所MVRDVです。1959年にオランダ南部のシインデルと言う町で生まれたヴィニー・マースと、1964年に首都のアムステルダムで生まれたヤコブ・ファン・ライスと1965年にオランダ北部の町アッピンヘダム生まれのナタリー・デ・フリースは、共にオランダの有名な工科大学の出身です。大学を出てからはそれぞれ著名な建築事務所に勤めていましたが、3人共同で参加したヨーロッパの建築家に向けた大きな建築設計競技会で優勝を勝ち取ったことで、今後も一緒に活動したいと思い1991年にMVRDVを開設しました。この事務所は、3人の名前の1部のマース、ファン・ライス、デ・フリースを繋げた文字を社名にしています。彼らの1番の関心事は、都市における空間です。都市の過密と広がりを懸念し、都市空間だけでなく、都市部の建築物の多さ、その建物の中の空間などの解決方法を常に模索しています。その結果、風変りな建物が生み出されています。特徴的な箱を積み重ねたような多層階の建物や、外壁から大きく張り出した部屋がある建築物などが、彼らの作り出す建築物の特徴の1つになっています。彼らはそれぞれ、後進のために様々な学校や場所で教鞭を執ったり、公演を行っていて、ナタリー・デ・フリースは現在、国の建築事務所協会の会長を勤めています。
「ティラナのピラミッド」の所在地
「ティラナのピラミッド」は、南ヨーロッパのアルバニア共和国の首都、ティラナに建設されています。アルバニアはギリシャの北側に位置し、西はアドリア海に面していて、対岸には長靴の形をしたイタリア半島のかかとの部分があります。この国はヨーロッパの他の国と似た古代の歴史があり、古代ローマ帝国や、その後に栄えたオスマン帝国の支配下にありました。20世紀に入ってから独立した国となりましたが、21世紀直前の1991年に共和制の政治形態になるまでには、君主制や共産主義であった時期もあります。ティラナの名前が歴史上に登場したのは、オスマン帝国の時代で、ヨーロッパの中世の頃です。その後は、政治形態や支配者が変わっても常に地域の中心や、国の中心の都市として機能してきました。この街は南北に長い国のほぼ中央に位置していて、街の北西以外は山々に囲まれた地形になっています。国土のおよそ半分が森林となっている国で、ティラナの周辺にも多くの自然があります。街のすぐそばに、自然保護の目的や人々が休暇を過ごすための国立公園と自然公園があります。特に国立公園に隣接しているマリ・メ・グロバ・ビゼ・マルタネシュ自然公園は、人の手があまり入っておらず、特徴的な地質や地形のため多様な生態系が育まれています。熊や狼などの大型哺乳類から鷲や鷹などの猛禽類が生息しています。植物に関しては国際的な機関から最高レベルの認定が下されていて、保護すべき地域とされています。
「ティラナのピラミッド」の特徴
「ティラナのピラミッド」の正式名称は、「ピエテル・アルブノリ国際文化センター」です。元々は、1985年まで独裁者として国の長だった人物の生涯を納めた博物館として、2年の歳月と高価な素材を使って建設された建物で、1988年に完成しました。基本はコンクリートの建物で、円錐形に近い末広がりの多角形をしていて、表側は斜面が地面までつながっていますが、反対側は5階建ての建物と同じ高さになっています。政治形態が変わってから、様々な使途で使われていましたが、最終的には放置されたような状態で、廃墟のようになっていました。市民の要望で建物は残されることになり、2023年に改装が終わってこの建物は生まれ変わりました。コンクリートの建物はそのまま使われて、外壁は階段に作り変えられました。およそ20mの高さがある建物の頂上まで階段で上がれるようになり、1番上には円形の天窓が取り付けられています。外壁の1部は斜路になっていて、滑り台のように使われています。階段や斜路の間には、明り取りと換気の役目もあるガラス窓が取り付けられています。周囲には多彩な色の箱が置かれて、独立した部屋になっています。屋内は1つの大きな空間になっていて、こちらにも様々な色合いの箱が不規則に見える形で置かれています。中には、まるで宙に浮いているように見える部屋もあります。
「ティラナのピラミッド」のまとめ
「エンヴェル・ホジャ博物館」は、白い大理石とガラスで覆われた荘厳とも言える建築物でしたが、改築される直前には廃墟のようになっていました。国家の負の遺産とも言えるこの建物は、解体の計画がありましたが、市民はそのまま残すことを選択しました。長い間放置されていたため、白い外壁は黒ずんで汚れ、たくさんの落書きもありました。生まれ変わった「ティラナのピラミッド」は、国の未来を担う人々のために様々な用途で使われます。「ティラナのピラミッド」は、この国と街の過去と未来を表す象徴となり、市民の自慢の1つとなっています。
コメントを残す