「ポンピドゥー・センター」のご紹介
伝統のある建物が数多く残されている大都会に、挑戦的とも言える建造物があります。花の都パリを流れるセーヌ川のほとりに建つ「ポンピドゥー・センター」がその建物です。フランスの芸術を更に高めるために建てられました。
「ポンピドゥー・センター」の設計者
イタリア人のレンゾ(レンツォ)・ピアノとイギリス人のリチャード・ロジャースのコンビが、「ポンピドゥー・センター」を作る権利をコンペと呼ばれる建築競技会で勝ち取りました。1970年に彼らは共同で「ピアノ&ロジャース」と言う建築事務所を開設し、「ポンピドゥー・センター」の建設に携わりました。レンゾ・ピアノは、1937年にイタリアの建築業の家に生まれ、建築を学んだ後に父親の元でしばらく働いていました。その後、兄弟で建築に関する様々な実験的な活動を行い、その頃に彼の建築家としての活動に影響を与えた人々に出会いました。リチャード・ロジャースは、1933年にイタリアでイギリス人医師の家に生まれました。イギリスやアメリカで建築を学び、大学時代に知り合った建築家達と実験的集団を結成して建築家としての活動を始めました。数年後、そのチームが解散した後にレンゾ・ピアノと組んで勝ち取った「ポンピドゥー・センター」のプロジェクトがきっかけとなり、その後の彼の作品に大きな影響を与えることになりました。リチャード・ロジャースは、建築家としての数々の功績が認められ、リバーサイド男爵と言う名の爵位も与えられています。1977年に「ポンピドゥー・センター」が竣工したときに彼らの事務所は解散しましたが、現在も精力的に自分達の作品を世に送り出しています。
「ポンピドゥー・センター」の所在地
「ポンピドゥー・センター」は、フランス共和国の首都であるパリに建っています。フランスの歴史は石器時代にまで遡ることができますが、中世になって花開きました。流動的な時代でもこの街は常に中心地で、王朝が変わるごとに建てられた王宮やお城がいくつも残されています。それに伴うような美しく威厳のある幾多の教会も建造されていました。他にも、古代の浴場の遺跡や、19世紀の初めにナポレオンが作らせたエトワール凱旋門、19世紀の終わりに行われたパリ万博の記念であるエッフェル塔など、多くの歴史の証人となる建造物があります。特に、アールヌーボー調の宮殿などは博物館や美術館として使用され、世界中から多くの観光客を引き寄せています。この都市も世界中の他の都市と同じく、近年では高層ビルも多く建造されていますが、歴史の証人ともなる古い建築物も大事にされています。
「ポンピドゥー・センター」の特徴
「ポンピドゥー・センター」の外観は、まだ建設途中か、何かの工場のように見えます。足場組とカラフルなパイプで出来た建物に見え、一目見ただけでは、ここがフランスにおける現代芸術の中心にはとても思えないような建物です。現代美術や音楽、映像などあらゆる芸術の振興を図るために1977年に開館しました。電気、水道などの配管や、空調用のダクトや排気塔、階段、エスカレーターなどの移動手段がすべて建物の外側に取り付けられています。それにより、屋内はとても広いスペースが確保できました。可動式の壁で様々な展覧会などの展示スペースを自由に変えることもできます。屋外に取り付けられている配管やダクト、構造上必要な梁などの為に未完成の建築物に見せているようです。また、これらの設備は色分けがされていて、とてもカラフルにもなっています。空調は青色で水道管は緑色、電気系統は黄色、人の流れを示す階段やエレベーター、斜路は赤色に塗り分けられています。また、地下の排気ダクトは白い色になっています。このような破天荒な見た目になったのは、「堅苦しい建物が多い文化施設のイメージを壊したかった」と言う、設計者の意図があった為です。そのような経緯もあったことで、この建物そのものも現代芸術を代表する作品の一つとなっているようです。
「ポンピドゥー・センター」のまとめ
「ポンピドゥー・センター」が出来上がった当時は、伝統的な建築物の多いこの地の人々の中には、なかなか受け入れられない人もいたようで、賛否両論ありました。そのようなことから、「ガス工場」や「石油精製所」、「配管のノートルダム」、「ポンピドニウム」など、数多くのニックネームもつけられています。また、開館した後にも「この建物はいつ完成するの?」と、質問されたと言うエピソードもあったようです。芸術全般の擁護者として名高い、元大統領のジョルジュ・ポンピドゥーの名を冠した芸術文化センターは、ヨーロッパ最大規模の現代美術コレクションを持ち、後の芸術家を育てる役目も果たしていく施設となっています。
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