「オニオンハウス」のご紹介
幸運な建築家とはどのような事を示しているのでしょうか。大規模な企画を任された場合や、世界的に名を上げる機会のある建築設計競技会で優勝する事でしょうか。太平洋の真ん中に浮かぶ島に住宅を作ろうと考えた人物から依頼を受けた建築家は、後に自分はとても幸運だったと語っています。希望を実現可能な財力を持ち、柔軟な思考ができる人物が依頼してきた住宅は「オニオンハウス」と名付けられ、完成から半世紀が経った今でも印象的で魅力のある家です。
「オニオンハウス」の設計者
「オニオンハウス」を文字通り手掛けたのは、アメリカ合衆国本土の南西の端にある都市、サンディエゴで1934年に生まれたケンドリック・バングス・ケロッグです。医師の父親と母親は芸術家を兼ねた看護師の元に生まれた彼の名前は、19世紀から20世紀にかけて活躍していた風刺やユーモアを題材にした作家の名前をとって付けられました。大学で天体物理学を学ぶつもりでしたが、彼には他に適した学問があることを指摘され、楽に習得できそうだと言う理由で建築を選びました。建築を学び始めて暫くして、フランク・ロイド・ライトが設計した「落水荘」の写真を見て衝撃を受けた彼は、自身の行く道が決まったようです。その後、短期間ではありますがフランク・ロイド・ライトの元で働く機会があり、有機建築の理念を知りました。短い期間の雇用が終了した後に再び働く事を勧められましたが、彼は弟子になるつもりはなく、自分の中の有機建築を追い求めることを決めました。彼の作り出す作品は、有機建築の中でも控えめな表現で、ありのままの自然を簡素な形で表しています。しかし、「まるで、呼吸しているかのような生命力にあふれた建築」と評されているとおり、誇張しすぎない生物を表しているような建物が作り上げられています。また、同じ表現の建物は2つとなく、依頼者と建設地に見合うものが作られています。有機建築の一翼を担っていた彼は、2024年に故郷のサンディエゴで家族に見守られながら89年の人生を終えています。
「オニオンハウス」の所在地
「オニオンハウス」は、アメリカ合衆国ハワイ州にあるハワイ島の西部に位置するホルアロア地区に建っています。ハワイ州はアメリカ合衆国の中で最後に加わった州で、正式に州として加わったのは、第二次世界大戦後の1959年の事です。州都のホノルルがあるオアフ島を始め、主な8つの島と100以上の小島で構成される大陸外の唯一の州でもあります。日本が開国してすぐの明治元年には100名以上の日本人がハワイへ移民として渡り、現在も日系人が多く暮らしています。太平洋のほぼ中心に位置していることで、様々な場所から人々が移民としてハワイに渡ってきて、祖国の文化を持ち込んできました。そのような経緯から、多様な文化が融合した独特な文化が育まれてきました。ハワイ島はハワイ諸島の中で最大の面積を持つ島で、ビッグ・アイランドとも呼ばれています。島の中で1番大きな街は「ヒロ」と言う街で、日系人が中心となって建設されました。島の東部にあるヒロは、幾度も津波の被害を受けてきた歴史があります。そのような経験が積み重なっていた経緯があることから、この街には「太平洋津波博物館」が建設されています。博物館では津波の研究が行われていて、「太平洋津波警報センター」も併設されています。
「オニオンハウス」の特徴
「オニオンハウス」は設計者が自ら建設に携わり、1963年に完成しました。この建物の建設には様々な逸話がありますが、第1に独特な形の建物なので、建設業者が見つからなかったことが上げられます。その為、設計者が自分で建設することを決心して、家が出来上がるまでの期間、ハワイ島に住むことにしました。1963年に完成した「オニオンハウス」の外観の見た目は文字通りタマネギに似ていますが、横から見た印象は、熱帯のサンゴ礁に生息する大きな二枚貝のシャコ貝にも見えます。大小2つの建物で構成された家で、プールの脇に建てられています。1番の特徴は屋根の形で、円形の家の中心から放射状に開いた複数のアーチで作られています。屋根の中心には尖塔が取り付けられていて、中心に近い部分は欧州赤松の板で覆われています。外壁の無い特徴的な構造で、屋根の最下部のアーチが最大になっているところからは、窓のようになった29枚のステンドグラスやスクリーンが取り付けられていて、家の内外を隔てられるようになっています。屋根の大部分は半透明のガラス繊維が使われていて、日中は乳白色に見えて屋内に柔らかな日光を取り入れています。夜間になると、室内の明かりが半透明の屋根を通して建物が浮かび上がるように見えます。屋根の骨組みは、曲線を描き、形が自由に作れることから、コンクリートで作られています。家の中心部に造られた暖炉や、内壁の1部、敷地をかさ上げしている石垣に使われている石は、溶岩が使用されていて、全て建設地の近郊で採取されています。
「オニオンハウス」のまとめ
「オニオンハウス」の正式な名称は「マコーミック・ハウス」と言います。依頼者は世界的なスパイスメーカーの親族で、この家が出来上がった頃に近所の人が「まるで、タマネギみたいな家」と言ったことが、この家の別名になったようです。依頼者の談によると、親族のスパイスメーカーの初期製品の1つがタマネギの粉末だったこともあって、その名前がぴったりだと思ったとのことです。完成から幾度か所有者が変わっていますが、現在は宿泊も出来るようになっています。
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