名護市役所 庁舎(Nago City Hall)

「名護市役所 庁舎」のご紹介

 

地域に古くから建つ伝統的な建物の姿は、そこに長く住んでいる人には自分たちの生活の場を表す象徴となっている事があります。そして、生まれ育った場所から長く離れている人には故郷を思い出す誘因となっているのでは無いでしょうか。日本で唯一亜熱帯に属する南国の地に建つ公共の建物は、伝統と革新が融合した一見の価値があります。「名護市役所 庁舎」は、沖縄を象徴する様々な要素が取り入れられている建物です。

「名護市役所 庁舎」の設計者

 

「名護市役所 庁舎」は、アトリエ モビルを主宰する建築家の丸山 欣也(まるやま きんや)と、5人の建築家が運営する「象建築集団」が共同で手掛けました。丸山 欣也は1939年に東京で生まれ、早稲田大学で建築を学びました。大学を卒業後はスイスの建築事務所で3年間の経験を積み、帰国した1968年に自らの建築設計事務所である「アトリエ モビル」を開設しました。事務所運営と共に母校の教壇に立ち、後進の育成に努め、アメリカの複数の大学でも教鞭を執っています。彼は建築に対する独特の考えを持っていて、1番基本となっているのが「優しさ」です。人々が安心して暮らせる為に何ができるかを考え、心地よい生活ができるにはどうしたらよいかを様々な思いと共に研究しています。また、画一的で個性の無い大量生産のような建築ではない、地域の特性や本来のものづくりに焦点を当てています。彼はそのような考えに賛同しているいくつかのグループと横の繋がりを持っていて、日本は元より世界各地で体験型の講義(ワークショップ)を行っています。「象建築集団」は、日本のモダニズム建築の先駆者の1人の下にいた5人の若い建築家が共同で1971年に創設した建築事務所です。この事務所は当時としては珍しいアトリエ系の建築事務所で、芸術性の高い建物を作り出しています。

「名護市役所 庁舎」の所在地

 

名護市は沖縄県の1番北にある市で、更にその北側には山原(やんばる)と呼ばれる本来の自然が残る地域が広がっています。沖縄が日本に返還される2年前の1970年に、名護町を中心として1町5村が合併して市政が施行され、沖縄本島の中央部と西側に突き出た本部半島(もとぶはんとう)の1部が名護市となりました。市の名称の由来は、本部半島の南側と本島の西に囲まれた湾の波が静かで凪いでいるように見えることから「凪ぎ」が転じたと言われていて、沖縄の方言では「ナグー」と呼ばれます。市の産業は、現在は観光業が大きく経済を担っていますが、元来は果樹や野菜、花卉栽培の農業と、鯛や車エビの養殖を始めとした漁業が盛んで、今も多くの特産品が生産されています。街に隣接するやんばる地域は2021年に世界遺産に登録されましたが、市街地の東の入り口付近には国の天然記念物に指定されている樹木が立っています。「ひんぷんガジュマル」と名付けられている巨木で樹齢は240年以上とも300年以上とも言われています。このような名前が付いたのは、木の下に置かれている首里城の重要性を説いた石碑が建っていて、その石碑が「ヒンプシー(屏風石)」と呼ばれていることが由来となっています。市の幹線道路はこの木を避けて車線が左右に分かれています。約20年前の台風で1度は倒れそうになりましたが、枝の選定や枝を支える支柱などを設置して護られています。選定された枝の1部は挿し木で増やされています。

 

「名護市役所 庁舎」の特徴

 

「名護市役所 庁舎」は、まるで、ファンタジーの中の迷宮か古代文明の遺跡のように見える建物です。この庁舎は沖縄の土地柄と歴史と伝統を重んじた上で、斬新な案も加えた建物です。完成から長い年月が経った為に、元々の外観が更に印象深くなっています。コンクリートで作られた建物で、外観で目立つ四角い柱や壁などは灰色と少しくすんだピンクのコンクリートブロックが使われています。開口部の多い建物で、多くの部屋の外側に通路があり、通路にはガラス窓等は取り付けられていません。このように風の通り道をたくさん作ったことで、完成当初は南国の街に建つ建物ではあっても、空調のための設備を必要としませんでした。元々は南側の壁面に名護市の自治会の数に市役所を加えた多様な形の56体のシーサーが取り付けられていましたが、現在は劣化が見られ、落下の危険もあることから取り外されています。灰色とピンクのブロックが交互に組み合わされた四角い柱に、パーゴラと呼ばれる桟になった庇が取り付けられ、この地域に見られる植物がそこにつたい葉を広げています。アサギテラスと呼ばれる1階の外側にある場所は、常に市民に開放されていて、憩いの場を提供しています。アサギテラスのアサギ(アシャギ)とは、古くから地域の神事などに使われる柱と屋根だけの建造物のことです。幹線道路に面した側には、折り返しで3階までつながる全長が28mあるスロープが取り付けられています。

「名護市役所 庁舎」のまとめ

 

1981年に完成した「名護市役所 庁舎」は、40年以上の時を経て老朽化が目立つようになってきました。加えて、地震の多い日本では建物の耐震基準は時が経つに従って高くなっています。特に公共の建物については基準も厳しくなっています。このような経緯から、名護市では建て替えや移転を検討していますが、市役所の庁舎でありながら市の観光名所ともなっており、保存を望む声も上がっているようです。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。