「ムール島」のご紹介
国土の大半がアルプス山脈に通ずる、標高の高い内陸の国を流れる川に新しい形の橋が架けられています。長い歴史のある古い街並みにも違和感を持たせることなく、浮かぶ島を持つ橋は、街の新しいランドマークになっています。「ムール島」は橋としてだけでなく、川に浮かぶ新しい島も形成しています。
「ムール島」の設計者
「ムール島」のデザインを手掛けたのは、アメリカのニューヨーク出身のアーティスト、ヴィト・コンチです。彼は、1940年にイタリアからの移民としてアメリカに渡ってきた父親の元に生まれました。幼いころから父親に連れられて、劇場や美術館を見て回ったことが、後に彼が芸術家になった根源となったようです。大学では文学や詩を学び、前衛的なアーティストとして活動していました。そのころの彼の活動には賛否両論あったようで、作品を燃やされ、壊されたこともあります。1970年代の頃から開催されるようになった、インスタレーションと呼ばれる体験型の芸術作品展示の先駆け的なアーティストでしたが、破壊された作品を作ったことが、建築に興味を持つきっかけとなったと言われています。40歳を迎えるころに本格的に建築を目指して、ニューヨークの有名な私立の学校で学んでいます。1988年に建築デザインを手掛けるアコンチ・スタジオを開設してからは、著名な建築家と共同で建築物を作り出しています。彼の作品は芸術家としての活動で培った様々な特徴があります。最初から建築家を目指していない、いわゆる素人のような目線で、新しい思い付きや遊び心が詰まったような作品が生み出されています。芸術や建築に新しい風を送り込んでいた彼は、2017年に77歳で人生の幕をおろしています。
「ムール島」の所在地
ヨーロッパの内陸の国であるオーストリア共和国の都市、グラーツを流れるムール川に「ムール島」が浮かんでいます。ヨーロッパの中でも起源の古い都市で、古代ローマ時代の砦が始まりとされています。街の名称のグラーツも古い言葉で「砦」または、「小さな城」を表す単語が由来と言われています。この地域の要衝であったことや、その時々の支配者や権力者の住む街だったことから、古い建造物が多く残されています。国で2番目に長い歴史を持ち、第2の規模を持つグラーツ大学は16世紀に開校していて、複数のノーベル賞受賞者を輩出しています。他にも複数の大学と専門教育を行う学校などがあり、住民の6人に1人は学生という学園都市でもあります。街の中心を流れるムール川は、最終的にヨーロッパで2番目に長いドナウ川に合流する川です。源流はアルプス山脈の1部になる標高1,800m以上の山です。全長が450km以上あり、ほとんどがオーストリア国内を流れ、他に複数の国の国境の役割も果たしています。ムール川の流域で最大の街がグラーツですが、以前はこの地域の水質が非常に悪化していました。重工業の工場や製紙工場からの排水によって、国で1番汚染された川と言われていました。近年、環境の改善を図る様々な取り組みが功を奏し、多種の淡水魚が再び生息するようになりました。現在も川の水質は改善され続け、様々な河川に与えられる国際的な賞を受賞しています。
「ムール島」の特徴
「ムール島」は、2003年にグラーツがヨーロッパ文化首都に選ばれた時の企画として作られました。川を渡るための歩道橋としての役割の他に、野外劇場とカフェ、主に子供のための遊び場が浮島の中に作られました。川の景色を邪魔しない透明感のある構造物で、二枚貝の上下にあるそれぞれの貝殻のように見えます。上向きの貝殻は、野外劇場になっていて、底の位置がステージとなり、階段状になった観客席が周りの縁にそって作られています。観客席は、水の流れを模した青い色合いと波のような緩やかな曲線を描いています。ドーム状になっている下向きの貝殻の中は、広い空間のカフェと子供たちの遊び場が作られています。上部が開いている部分からドームにうつる屋根の部分は、まるで立体的なメビウスの輪のようにねじれた形になっています。錆に強いステンレス製の三角形を基準とした骨組みに、樹脂製のガラスがはめ込まれているので、透明感のある建造物となっています。訪問者と川の水の間を曖昧にするために透明な素材が使用されていますが、設計者は水と光も「ムール島」を構成する素材と言っています。浮島である「ムール島」は、造船所にある陸上の建設施設である乾ドックで建設されて、現在の場所まで水の上を移動させて設置されました。橋は川のそれぞれの岸の見えにくい場所に橋脚が作られて、「ムール島」と連結されています。ムール川には船も航行しているので、船の安全のために夜間は青い光を纏っています。
「ムール島」のまとめ
「ムール島」は現地で「ムリンゼル」と呼ばれています。オーストリアの公用語であるドイツ語で、島はインゼルと言い、川の名前と繋げた名称がムリンゼルです。グラーツがヨーロッパ文化首都に選ばれた時に作られましたが、1年の任期を終えた後には他の場所に解体移動する予定でした。しかし、その出来栄えと川の風景に似合った形が市民に受け入れられ、街を訪れる人にも人気があったことから、そのままの状態を保つことになりました。仮設のつもりで建設されましたが、徹底した検査で、およそ50年は安全に使用できることがわかり、「ムール島」は、街が誇れる新しいランドマークとなりました。
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