マケドニウム(イリンデン記念碑)Makedonium (Ilinden)

「マケドニウム(イリンデン記念碑)」のご紹介

 

わずか100年前まで強大な帝国が支配していた地域がありました。ヨーロッパの特に東部にある国々は、近年でも政治的に不安定な時期があり、戦いに発展することもあります。東南ヨーロッパにある国で、少しでも人間らしく暮らしたいと考え、自由を取り戻すために立ち上がった人々がいました。彼らを称え、その歴史を忘れなうように記した記念碑が「マケドニウム」です。

「マケドニウム」の設計者

 

「マケドニウム」の建設は建築設計競技会で設計者が決定されました。最終的に勝利をおさめ、「マケドニウム」を手掛けることになったのは、マケドニアの芸術家であるジョーダン・グラブル(ジョーダン・グラブロスキー)とイスクラ・グラブル(イスクラ・グラブロスカ)夫妻です。ジョーダン・グラブルは国を代表する彫刻家で、1925年マケドニア南部の都市、プリレプで生まれました。彼は若い頃から芸術家を目指していましたが、後に第二次世界大戦に繋がった紛争が国の周辺で起こったために、兵士として戦場に赴かなくてはなりませんでした。幸いにも戦争を生き延びた彼は、彫刻家を目指して首都のスコピエで幾人かの芸術家に教えを請い、その後現在のセルビアの首都、ベオグラードの美術学校に入学しました。卒業後は彫刻の研究のためにヨーロッパの各地を回り、帰国後はスコピエの美術学校で教鞭を執る様になって、そこで将来の伴侶であるイスクラ・スピロフと出会いました。イスクラ・グラブルは、マケドニアの建築家で、芸術家です。1936年にスコピエで医師であり政治家でもあった父の元に生まれました。彼女は、スコピエの美術学校に入学しジョーダン・グラブルと出会いました。数年後に結婚して、現在は国でも有名な衣装デザインもこなす振付師の娘をもうけています。彼らの作品の多くは二人が共同で制作していて、国の内外で高く評価されています。ジョーダン・グラブルは1986年に心臓発作で61歳の若さで世を去っています。イスクラ・グラブルも72歳になった2008年にスコピエで亡くなっています。

ジョーダン・グラブル

イスクラ・グラブル

「マケドニウム」の所在地

 

「マケドニウム」は、北マケドニア共和国の中央部から南西に位置するクルシェヴォと言う町に建設されています。北マケドニアはユーゴスラビア連邦の構成国の1つでしたが、1991年に独立しました。国名は政治形態や国際関係の為に何度も変更があって、現在の北マケドニア共和国となったのは2019年の事です。古来よりバルカン半島の中央部をマケドニアと称していました。今の北マケドニアはその中心部にあるため、アジアやアフリカとヨーロッパ各地との交易の中継点の役割がありました。クルシェヴォは首都スコピエのおよそ70km南に位置する町です。バルカン半島で最大のペラゴニア渓谷の西側に位置する山岳地帯にある町で、標高が1,300m以上あり、半島の中で1番高い位置にある自治体です。緯度は日本の青森県と同じくらいですが、高地にあることから冷涼な気候となっています。夏季でも20℃を越えることは稀ですが、冬季に氷点下を大きく下回ることは少ないです。この町は、1903年にオスマン帝国からの解放を求めた蜂起が起きた地域に含まれています。その時にクルシェヴォ共和国が設立され、暫定政府と議会も制定されました。しかし、わずか10日後に再び大きな戦いが起こり、町のほとんどが焼き払われ、生き残った住民の大部分は周辺の地域に移住した歴史があります。

 

「マケドニウム」の特徴

 

「マケドニウム」は、20世紀の初頭に起きたイリンデン蜂起から約70年、その40年後に開催された、独裁政治から民族を解放するための会議から30年が経った1974年に完成しました。この複合施設は、クルシェヴォの町を見下ろす小高い丘に建設された、直径20mのコンクリート製の球状をした建物を中心として、様々な意味合いを持たせたオブジェや広場で構成されています。入り口には弾圧から解放されたことを意味する、断ち切られた鎖を模した複数の彫刻が置かれています。次に「地下室」と呼ばれる、坂道の途中に作られた58個の銘板が取り付けられた円筒が突き出た場所があります。この銘板には、イリンデン蜂起の前後の重要な出来事や人物の名前と日付が刻まれています。ドームに辿り着く直前には、陶器を使ったモザイクで色彩豊かに描かれた半円の壁が取り囲む円形劇場があります。広場には短く白い円柱がたくさん置かれていて、客席にも使われます。標高1,320mの場所に建てられた建物は、楕円形のドームから8個の突き出た楕円形の窓と4個の突き出た円形の天窓があります。楕円の窓のうち上の4つは赤、青、緑のモザイクのステンドグラスが取り付けられていて、下の4つは色々な方向から外の風景を見ることができます。その窓の周囲の内壁には浮彫が施されています。

「マケドニウム」のまとめ

 

「マケドニウム」は、その形状からある種の武器に似ているとか、「心臓」と呼ばれることもあります。「マケドニウム」の内部には、短命だったクルシェヴォ共和国の大統領を勤めた人物のお墓が納められています。「マケドニウム」は「イリンデン記念碑」と言う名称に変わりましたが、町のランドマークであり、人々の自由を祈る道標とも言える建造物となっています。

 

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