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「ジョン・ヘイダック記念塔」のご紹介
素晴らしい建物の設計図を描いても様々な要因で企画自体が頓挫してしまうことがあります。しかし、その設計をそのままにしておくことが惜しいと考える人もいます。当初の使用目的とは違いますが、10年の歳月を経て、完成した建物は記念碑と言える建物です。「ジョン・ヘイダック記念塔」は、その建物が立っている地域で最初に朝日を浴びる双子の搭です。
「ジョン・ヘイダック記念塔」の設計者
「ジョン・ヘイダック記念塔」の元々の設計者は、アメリカ人建築家のジョン・クエンティン・ヘイダックです。1929年にニューヨークで生まれた彼は、国内でもトップクラスの複数の大学で建築やデザインを学び、ニューヨークに事務所を置く、著名な建築家の元で経験を積みました。1965年に独立して建築事務所を開設し、同じころに出身校で教鞭も執るようになりました。1970年代に出版された書籍で、当時ニューヨークで活躍していた若手建築家を「ニューヨークファイブ」と紹介していて、彼はその中の1人でした。多くの作品と著作を残し、「ジョン・ヘイダック記念塔」の完成を見ずに彼は、2000年に70歳でこの世を去っています。「ジョン・ヘイダック記念塔」を完成にこぎつけたのは、「ニューヨークファイブ」の1人、ピーター・デイヴィット・アイゼンマンです。1932年にニューアークでユダヤ人の両親の元に生まれました。アメリカとイギリスの大学で建築を学んでいた時に、イギリス生まれでアメリカに帰化した建築家に師事していて大きく影響を受けています。彼の建築に対する理念は、建築と哲学を融合することや、文化的な背景を重要視することです。その為、相容れない人もいるようで、批判を受けることもありました。それでも彼は、90歳を越えた現在でも現役で活躍する世界でも最高齢の建築家と称されています。
「ジョン・ヘイダック記念塔」の所在地
「ジョン・ヘイダック記念塔」は、スペイン王国の西部に位置する、ガリシア自治州の州都であるサンティアゴ・デ・コンポステーラを見下ろす小高い丘の上に建っています。ガリシア自治州はイベリア半島の北西の角にあたり、南は隣国のポルトガルと国境を接しています。北海道とほぼ同じ緯度にありながら、気温は1年を通して穏やかで、冬季でも氷点下を下回ることが少なく、降水量は国内で最も多い地域の1つですが、雪が降ることは稀です。サンティアゴ・デ・コンポステーラは、古来よりこの地域の中心として栄えてきました。古代ローマの時代に主要都市を繋ぐために建設されたローマ街道が交差する地点にあったことから、交易の重要な拠点であり、政治的にも価値の高い街でした。ローマ街道は、地中海沿岸を中心にアフリカ北部からヨーロッパの西部を網羅する道で、商業や政治、軍事に利用されてきました。この街にはキリスト教の使途の1人が埋葬されているとの伝承があり、9世紀に現在の街として知られるようになりました。その使途を祀るために建設された大聖堂は19世紀には文化遺産となり、大聖堂を中心とした旧市街が1985年にユネスコの世界遺産に登録されました。キリスト教の聖地として巡礼者が多く訪れ、旧市街とは別に巡礼のための道が「サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路」という名称で世界遺産に登録されています。
「ジョン・ヘイダック記念塔」の特徴
2003年に完成した複合施設の「ガリシア文化都市」の一角に「ジョン・ヘイダック記念塔」が建てられています。まるで双子のような搭で、高さ25mの搭の形は同じですが外観が違う見た目になっています。両方とも骨組みは鉄骨ですが、外壁が異なっています。1つはガラス壁になっていて、もう1つはガリシア州の南隣のエストレマドゥーラ州で採石されている青味のある花崗岩の石板で覆われています。四角い柱のような形で、3段階に分かれていて、上段に行くに従って細くなっています。1番下の床面が約50㎡の広さで、2段目は約23㎡、最上段は約6㎡の角柱になっています。それぞれの段には下から3つ、2つ、1つ窓があります。石壁の方は本来の窓の役割をしていて、日中の自然光を屋内に取り入れています。ガラスの搭の方は窓の形が作られていますが、デザインの1部となっています。この2つの建物は地下で隣接する複合施設と繋がっていて、3階層に分かれている石の搭は、倉庫や様々な用途で使用される部屋が作られて、最上段には通信施設のアンテナ等が収容されています。ガラスの搭は屋内が吹き抜けになっていて、芸術作品の展示などに利用されていて、それぞれの見た目に沿った使用がされています。また、搭の後ろにある円筒も石の方は換気や排気口に使用され、ガラスの筒には上段に行ける螺旋階段が設置されています。
「ジョン・ヘイダック記念塔」のまとめ
「ジョン・ヘイダック記念塔」は、20世紀の終わりころに計画があったサンティアゴ・デ・コンポステーラの植物園の為に1992年に設計されました。様々な理由でその企画は実現することは無く、設計者のジョン・ヘイダックは実際に建設された搭を見ることはありませんでした。21世紀になって新たな企画が持ち上がり、友人だった建築家の遺作となったその搭は現実の物となりました。2つの搭は、彼らを写し取った様にも見える建物と言えるのではないでしょうか。また、「ジョン・ヘイダック記念塔」の2つの搭の間が搭が逆さになっている形に見える位置があります。
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