「イルパラッツォ」のご紹介
日常の煩雑な時間を忘れて、ゆっくりとしたひと時を提供する事はホテルの役割の一つではないでしょうか。「時をデザインするホテル」を基本理念として作られたホテルが都会の片隅に建っています。「イル・パラッツォ」は宮殿を意味する名前のホテルです。
「イルパラッツォ」の設計者
「イル・パラッツォ」のデザイン及び設計を手掛けたアルド・ロッシは、1931年にイタリア第二の都市、ミラノで生まれました。大学で建築を学び、学生時代から建築雑誌に自分の意見を寄せていました。大学を卒業して数年後、その建築雑誌の編集に3年の間携わっていました。その後、自分の建築事務所を立ち上げ、建築家としての活動を始めました。当初は理論が先走り、なかなか実際の建物としては実現しない作品が多かったようです。また、欧米のいくつかの大学で教鞭もとっていました。彼の作品は、簡素でどこか懐かしいような佇まいの建物が特徴的で、彼のことは「たまたま建築家になってしまった詩人」と、ある建築評論家が評しています。インデンツァ(イタリア語で流行やトレンドなどの意味)と呼ばれる合理主義の建築運動の創始者の1人と言われていますが、彼の作品の根底には古代ローマや古代ギリシャの建築があるようです。設計や建築理論、デッサンの分野に於いて、世界的に評価されていましたが、多くのプロジェクトを抱えたまま、1997年に66歳の若さで交通事故によりこの世を去りました。いくつかの建物は彼の死後に完成したものもあり、日本国内にも複数の現存する建築物が建っていて、彼の作風を偲ぶことが出来ます。
「イルパラッツォ」の所在地
九州最大の都市、福岡市の片隅に「イル・パラッツォ」は建っています。九州の玄関口と言える県であり、日本海に面する地理的条件が重なり、太古から人々が暮らしていました。大陸から稲作が伝えられ、紀元前にはすでに田んぼが作られていました。また、日本最古の王の墓も発掘されていて、古くからクニとして栄えていたことがわかります。条件の良い地形に恵まれ、日本で最古の湊(港)が作られたのが現在の博多港です。古代九州の行政機関であった大宰府の海の玄関口としての役割があった博多津には、日本の国として最初に大陸に使節を派遣した遣隋使よりも前に、大陸との交流があり、日本で一番古い外交施設も作られています。良い港に恵まれていたので、現在の韓国との交易が盛んになって、商業が発達し、商人による合議制の自治が行われるようになり、日本で最初の自治体が発生したのもこの地です。「博多」と呼ばれるようになったこの地域と、江戸時代に城が築かれ「福岡」と呼ばれた隣接した二つの地区を合わせて福岡市となったのが明治時代です。現在も駅や港はそれぞれ「博多駅」、「博多港」と呼ばれ、空港は「福岡空港」となっています。
「イルパラッツォ」の特徴
「イル・パラッツォ」は日本で初めてのデザイナーズホテルと謳った、西洋の国の中世の建物を簡略化した印象のシンプルな建物です。細い路地を通って、正面から見上げた時のインパクトの強さは、他に類を見ないものがあります。古代ギリシャや古代ローマの神殿に見られるような円柱を彷彿とさせる外観で、形は簡素ですが、赤と緑の美しい色で目を引く建物となっています。赤は中東の国イランで産出する大理石のトラバーチンが使われていて、緑は銅板を特殊な方法で腐食させ、緑青(ろくしょう)を発生させた色になっています。正面から見る外装は、若干縞のある赤茶色の壁と各階層に取り付けられた円柱が飾りとなり、庇の部分が緑青の青みを帯びた緑色がノスタルジックな雰囲気を醸し出しています。また、正面側には窓が無い事も、この建物の特徴を際立たせているようです。本館の両脇には、ヨーロッパの街で見られるような少し古い時代の建物を思い起こさせる別棟があって小さな町を創造しているとのことです。シンプルな見た目ですが、ある意味荘厳な雰囲気を醸し出している建物となっています。
「イルパラッツォ」のまとめ
都会の華やかな大通りではなく、一本脇にそれた裏道のような通りに面しているシティホテルです。車が一台しか通れないような細い道沿いに、突然現れる赤銅色と青味のある緑の緑青色が目立つ建物です。どこか懐かしいような、でも、初めて見る街の風景を一つの建物が作り出せる見本となっている「イル・パラッツォ」です。ここは、まぎれもなく日常を忘れる時間を過ごせるホテルではないでしょうか。
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