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「ヘイダルアリエフ文化センター」のご紹介
近年の技術の進歩は目を見張るものがあります。様々な分野で日々研究が重ねられていて、建築界でも同様の事が言えます。「ヘイダルアリエフ文化センター」はその結果の一つとも言える建築物で、真っ白なドレスをまとったような姿の華麗な建物です。
「ヘイダルアリエフ文化センター」の設計者
あまりにも斬新で、しかし、非常に美しいデザインの設計をする為、「アンビルドの女王」と呼ばれるザハ・ハディッドが「ヘイダルアリエフ文化センター」を手掛けました。アンビルドとは、英語でビルドbuiltは建てられたと言う意味なので、否定を表すアンunを付けて建てられていないと言う意味ととらえられた単語です。1950年にイラクの首都バグダッドで生まれ、国内の情勢が不安定になった頃、家族と共にイギリスに渡りました。イギリスでは、AAスクールと言う世界的にも有名な建築専門の学校で本格的に建築を学びました。1980年に自らの建築事務所を開設しましたが、当初は建築の専門誌に彼女のデザインが頻繁に取り上げられたり、建築設計の競技会(コンペティション)に入選したりと、建築デザインでは高い評価を受けていました。しかし、実用的ではないと言う理由や、建築費用がかさみ過ぎると言う理由で実際に建てられた建物はありませんでした。デザインは高い評価を受けても実効性が無かったという事で、一時は建築の世界から身を引くことも考えていたようです。日本のレストランの内装や小さなインテリアの仕事をこなしていた時に転機が訪れ、本格的に建設されるプロジェクトを手掛けるようになりました。しかし、変わらず妥協する事がほとんど無かった彼女の作品の中には、建設されなかったものもたくさんあります。近代の建築界をリードしてきたと言える彼女は、人生を駆け抜けるように65歳の若さで2016年に亡くなっています。
「ヘイダルアリエフ文化センター」の所在地
地球上で一番大きい湖のカスピ海西岸に位置するアゼルバイジャン共和国の首都バクーに「ヘイダルアリエフ文化センター」が建設されました。この国が現在のような政治体系になったのは比較的最近の事で、現在のロシア連邦の歴史とは切り離せない史実がある国です。1991年にソビエト連邦が解体する直前に、連邦から離れ、独立を宣言しました。首都バクーには元々人が暮らし、太古より町として栄えてきました。この地域は石油の埋蔵量が多く、紀元前には地上に湧き出る石油を採取していました。当時の石油は、灯りの為の燃料やミイラ作りの為の防腐剤、船や家屋の補強材として、交易の為の重要な商品でした。9世紀頃には人の手で掘った井戸から石油を汲み出すようになり、技術の進歩と共に大がかりな油田の開発やパイプラインの設置によって、この街の経済を潤してきました。現在もこの地域の経済は石油の産出が大きく担っています。しかし、近年では脱炭素の動きも大きくなり、経済に対しては方向転換する動きも出てきました。21世紀に入ってホワイトシティ計画が動き始め、カスピ海に浮かぶ水上都市の「カザールアイランド」の建設が始まっています。他にも、超高層ビルの建設計画などもあり、世界に名高い高級都市のドバイに負けない街になるようです。
「ヘイダルアリエフ文化センター」の特徴
「ヘイダルアリエフ文化センター」は、設計者のザハ・ハディッドの特徴と言えるデザインで、縦横に曲線がふんだんに使われている美しい姿の建物です。甲子園球場のおよそ2倍に当たる広さの敷地があり、その半分ほどの建設面積を持つ「ヘイダルアリエフ文化センター」は、建物の前に広がる前庭のような緑地と一体化しているようなイメージがあります。建物の最高値は地上74mもある大きな建物ですが、その姿の為に大きさをあまり感じさせません。この地域で古くから作られていたイスラム建築にも見られる、流れるような形が優美な雰囲気を醸し出しています。真上から見ると四角い建物と言えなくもありませんが、地上で見る「ヘイダルアリエフ文化センター」はどの方向から見ても似通った形はありません。ウェブ上には「ヘイダルアリエフ文化センター」の画像があふれていますが、色々な方向から撮られた画像は同じ建物とは思えない、でもどこから見てもエレガントな建物です。ガラス繊維や合成樹脂と混合した特殊なコンクリートが外壁に使用されて、建物全体の強度を上げるように設計されています。その為、屋内には垂直の柱がありません。また、流れるような形が床や壁、天井などの境界を曖昧にしています。それを一番感じさせるのがコンサートホールで、まるで巻貝の中にいるような感覚に陥るようです。建物の前にある広場は宮殿に至る道のようで、芝生の緑と通路と「ヘイダルアリエフ文化センター」の白い姿が目を見張るコントラストを作り出して、バクーの青空に映えるようです。
「ヘイダルアリエフ文化センター」のまとめ
ソビエト連邦からの脱却以前からこの地域では、アゼリ文化と呼ばれる古来より育まれてきた文化の再興に人々が関心を寄せるようになってきました。以前はソビエトの色が濃い建築物が多かったようですが、イスラム建築を意識したような風雅な建物が建設されるようになってきました。前大統領の名前を冠した「ヘイダルアリエフ文化センター」は切手や紙幣にも描かれていて、この建物が街の人々の新たな誇りとなっていると言えるのではないでしょうか。
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