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「ハンス・クリスチャン・アンデルセン美術館」のご紹介
200年も前に作られた物語が現在も語り継がれているのは素晴らしい事と言えます。題名や作者は知らなくても、内容を聞けば知っているお話もたくさんあるのではないでしょうか。アンデルセンはとても多くの童話や物語を作り出していて、そのお話は現在でも世界中で絵本や読み聞かせなどで、子供たちは元より、大人になっても心に響くものがあります。「ハンス・クリスチャン・アンデルセン美術館」は、その物語を感じられる施設になっています。
「ハンス・クリスチャン・アンデルセン美術館」の設計者
「ハンス・クリスチャン・アンデルセン美術館」を手掛けたのは、横浜生まれの隈 研吾(くま けんご)です。彼は子供の頃、たくさんある童話の中でもアンデルセンのお話が特に大好きだったと言っていて、「ハンス・クリスチャン・アンデルセン美術館」の建築設計競技会(コンペティション)で優勝を勝ち取った時には大変喜んだそうです。1954年に会社員をしていた父の元に生まれ、母方の祖父が建てた年季の入った家で育ちました。父親が好んで家の修繕をしているのを見て、建築に興味を持ち始め、小学生の頃にあった最初の東京オリンピックの為に建設された建物を見て、更にその気持ちが強くなりました。しかし、2021年に開催された彼の展覧会のタイトルにも登場する「猫」は、彼が子供のころから好きな動物で、小さい頃は獣医になりたいと言う夢もあったという事です。彼の作品には木材を使ったものが多くあります。1995年の阪神淡路大震災の時に、コンクリートで作られた建物が簡単に崩れてしまった事がきっかけで、日本で古くから使われていた木材を使用するようになりました。人工物だけで作られた建物の限界を感じたと、彼は思ったようです。そのような思いは、2011年の東日本大震災で更に大きくなりました。良い木材を得る為には、森林を育てることが大事だとも彼は言っています。
「ハンス・クリスチャン・アンデルセン美術館」の所在地
アンデルセンの生まれ故郷のオーデンセに「ハンス・クリスチャン・アンデルセン美術館」が建設されています。デンマーク王国の地理は大きく3つに分けられます。ユーラシア大陸と繋がっているユトランド半島と首都コペンハーゲンのあるシェラン島、その間に挟まれたもう1つの大きな島がフュン島です。アンデルセンの生家はフュン島の中心部にあるオーデンセという街にあります。オーデンセの地名の由来は、北欧神話に登場する重要な神の1人、オーディンが住んでいた場所と伝えられていることから来ています。この街はデンマーク第3の都市であり、最も古い都市の1つでもあります。ユトランド半島とフュン島とシェラン島との間には、それぞれ橋が架けられていて、陸上輸送が可能となっています。この街はオーデンセフィヨルドの奥に広がっていて、天然の良い港があったことから国の重要な貿易港があります。このような条件の土地柄から、古来より商業が発達してきました。また、アンデルセンの他にもクラッシック音楽の作曲者、カール・ニールセンが生まれた街でもあるので、文化の中心地でもあります。多くの劇場やホール、多様な博物館や美術館もあります。都市ではありますが、周辺には自然が多く残されています。特にフィヨルド周辺は渡り鳥の重要な繁殖地があって、欧州連合(EU)が定めた様々なレベルの保護対象に指定されている場所が点在しています。
「ハンス・クリスチャン・アンデルセン美術館」の特徴
「ハンス・クリスチャン・アンデルセン美術館」は、童話の世界を表す雰囲気を持つ建物と庭で構成されていて、アンデルセンの生家のすぐそばに美術館の敷地が広がっています。この施設の建物はアンデルセンの童話の世界と、この国に古くから伝わる家屋の作り方を取り入れています。デンマークの古い民家は日本の民家と似たところがあって、木材の柱や梁と土壁で出来ています。庭園は、曲がりくねった小道に沿って様々な物語が語られているようになっていて、建物は半分庭に埋め込まれているような印象があります。カラマツとオウシュウトウヒ(欧州唐檜)の木材が柱や梁に使われて、庭に面した部分は庭と屋内の境があいまいになるように大きなガラス窓になっています。建物は背の低い筒状や曲線を描くように作られているので、天井の梁は放射状になっているところもあって、それをわざわざ見せて、装飾の一部になるような作りになっています。屋根の上にも植物が植えられて、庭園と建物が融合するように見えます。庭園の植物、特に樹木は大きく育つことが織り込まれていて、この美術館そのものが成長するようにと取り計らわれています。展示スペースは、打ち放しのコンクリートで地下に作られています。地下の部屋は、展示される作品の為に少し暗くしてあるので、地上部分の明るさと対照的になっていますが、展示物はそれぞれの庭に込められた物語と連動するようになっています。
「ハンス・クリスチャン・アンデルセン美術館」のまとめ
アンデルセンは30歳の頃から物語を作り始め、亡くなる少し前までの間に、子供の為だけでなく、大人の為にも多くの作品を書き続けました。彼の人生は波乱に満ちた物でしたが、彼が亡くなった時には大人も子供も、そして国の王様からとても貧しい人まで様々な人々が彼の死を悲しんだと伝えられています。アンデルセンが残した、多くのお話を再発見できるようにと考えられて出来上がったのが「ハンス・クリスチャン・アンデルセン美術館」です。
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