「グルントヴィークス教会」のご紹介
近代デンマークの歴史に大きな影響を与えた、作家で、詩人、教会の牧師などを務めていたニコライ・フレデリック・セルヴェリン・グルントヴィを記念して建設されたのが、「グルントヴィークス教会」です。NFSグルントヴィを称えて何か記念になる物を作る企画が持ち上がったのが20世紀に入って間もなくの頃でした。建物に加え、彫像や記念碑など様々な計画が多分野から提出され、競技会が行われました。2回にわたって行われた審査で決まったのが「グルントヴィークス教会」の建設でした。
「グルントヴィークス教会」の設計者
「グルントヴィークス教会」の企画と設計を行ったのは、デンマーク人の建築家、ペーダー・ヴィルヘルム・ジェンセン=クリントです。彼は、1853年にデンマークで1番大きい島の、シェラン島の西にあるスケルスコールと言う街の近郊で生まれました。コペンハーゲンの大学で技術者の資格を取った後、国立の美術学校で絵画のクラスを全て受講しましたが、その学校は卒業していません。芸術家になりたかった彼ですが、家計を助けるために働くことになり、芸術家になることはあきらめたようです。数学にも大きな興味を持っていた彼は、しばらくの間、複数の学校で数学の教師として働いていました。その後、技師として働くようになって建築にも関心を持つようになり、最初の作品を作り上げたのは19世紀も終わりに差し掛かった頃でした。その頃に彼は名前に「=クリント」を付け加えています。彼の作品は、数学の理論を取り入れた幾何学的な外観に加え、芸術的な美しさも持ち合わせた独特の建物を作り出しています。建築家としての正式な教育は受けていませんが、当時、結成されて間もないデンマークの建築家協会に所属していました。彼には3人の子供がいますが、娘は彫刻家となって建築家と結婚しています。2人の息子は建築家やデザイナーとして国の社会に大きく貢献しています。「グルントヴィークス教会」の建設を勝ち取った彼は、教会が完成する前の1930年に亡くなっていますが、教会の建設は息子の1人に引き継がれました。
「グルントヴィークス教会」の所在地
「グルントヴィークス教会」は、デンマーク王国の首都コペンハーゲンの一番北にあるビスペビアグ地区に建っています。コペンハーゲンは、国で1番大きなシェラン島(ジーランド)の西に位置し、エーレ海峡を挟んだ対岸には、スウェーデンの都市マルメがあります。エーレ海峡は、バルト海から北海に抜ける為の重要な航路で、古くから交易のための船の往来が多い海域でした。コペンハーゲンの名前は古い言葉で「商人の港」と言う意味があります。様々な国の言葉でこの街の名前が呼ばれていて、例えば、英語では「チャップマンズヘブン」で意味は同じです。また、チェコ語で「コダン」、ラテン語で「ハフニア」と呼ばれています。ハフニアは、この街にある元はコペンハーゲン大学の研究所だった施設で1923年に発見された72番目の元素につけられた名前の元になっていて、ハフニウムと命名されています。この施設は、複数のノーベル賞受賞者が研究を行っていた場所です。古くから都市として栄えてきた街なので、古い建物もたくさん残されて中世の佇まいを見ることのできる地区もあります。新しい近代的な建物も建設されていますが、古い建物も大事にしていて、市内の中心部には高層ビルを建てない事が決まっています。
「グルントヴィークス教会」の特徴
教会は美しい尖塔が建ち並び、神聖で荘厳な印象を持つ建物が多くあります。そのような建物が多い中で、「グルントヴィークス教会」の第一印象は厳つい雰囲気のある建物に見えます。
基本的な形はゴシック建築の様式をとった大聖堂の形ですが、デンマークの伝統的な田舎の家や村にある小さな教会の形を取り入れています。建物の素材はレンガが使われています。レンガはこの教会を建てるために特別なものが作られました。黄色い色の特別なレンガと屋根の瓦は、コペンハーゲンのあるシェラン島の中だけで多くの職人の手で作成されました。レンガを組み合わせていることから、3つの尖塔はギザギザのような側面になっています。尖塔の真下に位置する場所には、宗教的な意味合いのある3つの入り口が作られています。入り口は、組み合わせたレンガが奥行きを感じさせるようになっていて、訪れる人を招き入れる印象になっています。屋内は、キリスト教の十字型を意識していて、過剰な装飾をしないシンプルなデザインで、高い天井のアーチまで届く円柱が建ち並んでいます。1本の円柱にはおよそ3万個のレンガが使われていて、建物全体では数百万個ものレンガが使用されています。
「グルントヴィークス教会」のまとめ
「グルントヴィークス教会」の建設が決まり、建設用地が決まるまで様々な意見が出てきたことで、8年の歳月がかかりました。それに加えて、建設開始から完成までおよそ20年の月日が流れました。その間には、「グルントヴィークス教会」を中心とした住宅の整備も行われる計画が立ち上がり、そちらもペーダー・ヴィルヘルム・ジェンセン=クリントが一役買っています。郊外の丘の上の、元はライ麦畑だった所に建つ「グルントヴィークス教会」は、今でもこの地区の重要なランドマークとなっています。
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