「北京・銀河SOHO」のご紹介
都会に建つ商業用のビルと言えば、普通は四角い建物を想像するのではないでしょうか。しかし、中国の首都、北京にある大規模な商業ビル「北京・銀河SOHO(ギャラクシーソーホー)」は、直線の部分が無い、曲線だけで作られているように見える建物です。
「北京・銀河SOHO」の設計者
「北京・銀河SOHO」は、イラクのバグダッドで生を受けたザハ・モハマド・ハディッドが設計しました。1950年、政治家で実業家の父の元に生まれた彼女は、子供のころから建築家になりたいと望んでいました。ロンドンのAAスクールと言う、著名な建築家を数多く輩出した建築の専門学校で学び、卒業後オランダの有名な建築家の下で働きました。間もなく自分の事務所を構えてからは、数々のコンペに優勝したり、建築家に贈られる様々な賞を受賞するようになりました。彼女のデザイン、設計した建造物は多々ありますが、コンペで優勝したにも関わらず実際には建てられなかった建物が多くあることから「実現しない建築の女王」と言われていました。
日本の新国立競技場もその一つです。また、独特な曲線を多用した作品が多いことから「曲線の女王」と呼ばれる事もあります。出身国であるイラクとは別に、事務所のあるイギリスの国籍も持つ彼女は、イギリスで建築家に授与される最も権威のある賞なども受賞し、勲章も授けられていて、正式には男性の「サー」に当たる「ノートルダム」と言う敬称を付けて紹介されています。残念なことに、素晴らしい才能を持った彼女は2016年65歳の若さでこの世を去っていますが、彼女の死後に完成したプロジェクトや現在でも進行中の計画があります。
「北京・銀河SOHO」の所在地
中華人民共和国の首都、北京の中心部に「北京・銀河SOHO」が建っています。北京はたいへん古い歴史のある土地で、太古から人が住んでいました。様々な王朝が興っては衰退してきた中国で、常に中心的な都市でしたので、中世の時代には市内中心部を囲む城壁が作られていました。要所要所に門があり、「北京・銀河SOHO」の近くには「朝陽門(ちょうようもん)」がありました。この門は規模の大きな運河に一番近かったために、市内に届ける食料が運び込まれる重要な場所となっていました。市の中心部には、現在の故宮博物館になっている紫禁城や、国の安寧や五穀豊穣を歴代皇帝が祈った天壇があります。
このような歴史の証人となっている古い建物が数多く残されている傍らには、近代を代表するような建物も建っています。北京オリンピックのメインスタジアムだった鳥の巣と呼ばれる体育館や、中央TVの新社屋など、未来を先取りしたような建築物がたくさん建てられています。
「北京・銀河SOHO」の特徴
建築物は普通、無機質な外見をしていますが、「北京・銀河SOHO」は生物的な形をしています。4つの卵のような形の建物で構成されていますが、それぞれの建物を緩やかなカーブを描いた通路が繋いでいるために、一つの巨大な建築物にも見えます。まるで、毛糸玉のように中央部分には穴が開いたような作りになっていて、中国に古くから建てられている中庭を囲むように作られていた農村部の住宅、四合院(しごういん、ピンイン)を参考にしていると設計者は言っています。
18階建てのビルですが、商業スペースは3階までで、3階の天井部分にガラスがはめ込まれ、天窓のようになっています。コンクリートの壁をアルミパネルが覆っているので、全体では白く見える外観になっています。窓の部分が暗く見える時もあり、壁の白と相まって渦巻き模様を作り出しているように見えることもあります。総合的なテナントビルで、商業スペースやオフィスが入り、最上階はレストランとカフェなどになっています。商業スペースには広い吹き抜けの空間があり、高いガラス天井が全天候型の広場を形成しています。垂直方向も水平方向にもあらゆる曲線が使われて、柔らかいイメージが建物全体を包み込んでいます。
「北京・銀河SOHO」のまとめ
中国SOHOと言う、簡単に表すと不動産の会社が「北京・銀河SOHO」を所有しています。この会社はいくつかの大規模なテナントビルを持っています。一風変わった外見の建物が多いのですが、「北京・銀河SOHO」は規模も大きく、見かけも一番変わっています。設計者のザハ・ハディッドは、「北京・銀河SOHO」以外にも中国SOHOのビルを手掛けています。いずれも彼女の作品と言える優しい姿をした建物になっていて、つい最近開業した中国SOHOのビルは、ザハ・ハディッドの設計ではありますが、彼女の死後に完成した美しいとも言えるビルとなっています。
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