空飛ぶ泥舟(Flying Mud Boat)

「空飛ぶ泥舟」のご紹介

 

危機的状況や信頼できなものの例えとして「泥船」と言う単語はよく使われます。昔話の「かちかち山」の中で、すぐに作れるがすぐに沈んでしまった泥の船の話を耳にしたことがある人は多いのではないでしょうか。日本の屋根とも言える日本アルプスを望む町には、そんな泥船を空中に浮かべた茶室があります。「空飛ぶ泥舟」は、梯子を使わないと入れない見た目も楽しい建築物です。

「空飛ぶ泥舟」の設計者

 

「空飛ぶ泥舟」を手掛けたのは、独特な感性で建築物を作り出している藤森 照信(ふじもり てるのぶ)です。元々建築の歴史を研究する建築史家で、初めて自らの手で建築物を世に送り出したのは45歳を過ぎてからでした。彼は、第二次世界大戦が終わった翌年の1946年に長野県の諏訪郡宮川村(現在の茅野市)で生まれました。東北大学と東京大学の大学院で建築史を学んでいたころは、日本にある古い西洋建築に大きな関心を持っていました。仲間や賛同する人々と共に、日本の珍しい建築物を探して回り、研究する活動を行っていました。「建築探偵団」と名付けられたこの団体が12年かけて集めた資料をまとめて出版されたのが「建築探偵の冒険・東京」と言う本です。次に彼が始めた活動は、道路上にある様々な物を観察する「路上観察学会」です。この活動は芸術家や作家などが参加して、それぞれの得意分野で観察の結果を表現しています。彼の作り出す建物は風変りな物が多く、一般では芸術作品と呼ばれる印象があります。しかし、自身は芸術品とは思っておらず、信念にそって作り出しています。例えば、いくつかの茶室を建設していますが、古い伝統のある茶道のための部屋を作るときに、その伝統には従うけれど、新しい技術もしっかり使っています。そして、その新しい技術は古くから使われている自然の素材で覆い隠しています。

「空飛ぶ泥舟」の所在地

 

現在、「空飛ぶ泥舟」は信州長野の茅野市にある建築家の藤森照信の私有地に浮かんでいます。茅野市は長野県の南部に位置する諏訪地方の中心的な街で、周囲を八ヶ岳の赤岳を始めとした山々に囲まれています。第二次世界大戦後に日本で初めてひらがなの自治体名だった「ちの町」を中心として8つの村が合併して茅野町となり、3年後に市政が施行されました。高原地帯のこの街の市役所は標高が800mを越えていて、国内の市役所の中で最も高い場所にあります。太古より人が暮らしていた痕跡があり、国宝に指定されている縄文時代の土偶が出土しています。また、戦国時代の武将とも縁が深く、江戸時代には現在の山梨県の甲府から下諏訪までを繋いでいた甲州街道の裏街道にある宿場町として栄えていました。火山である八ヶ岳の麓であることも含めて、数多くの温泉も湧出しています。この地域の温泉は、成分が異なる複数の源泉があることが特徴的です。高原地帯なので、冬季の気温は低いですが、比較的乾燥しているので降雪量は余り多くありません。乾燥した気候を利点とした精密機械の工場が稼働していて、冷涼な気候を利用して高原野菜が農業の中心となっています。また、その両方の気候を利用した凍り豆腐や氷餅といった、伝統的な食品も生産されています。

 

「空飛ぶ泥舟」の特徴

 

「空飛ぶ泥舟」は、その形状は元より設置方法も型破りな建物です。茶道の茶室として2010年に完成した「空飛ぶ泥舟」は、長さが2.7mで、幅が1.8mあり、室内の高さは約2mで、いびつな栗の実のような形と色をしています。下半分は黄色い泥漆喰で仕上げられ、上半分は銅板を使ったこけら葺きになっています。こけら葺き(柿葺き)とは、古くから使われている屋根葺きの手法で、本来は杉などの木の板を少しづつずらして重ね合わせて仕上げられています。屋根の部分には両側に下開きの窓が取り付けられています。どちらも四角い窓枠に丸いガラスがはめ込まれていて、大きさは違いますが、船の舷窓のようです。茶室として作られているので、室内にはお湯を沸かす釜が設置されていて、煙を外に出すための小さな傘付きの煙突が突き出しています。室内は杉の板張りで、板の配列がまるで木造船のような印象になっています。7人程度が入れますが、安定しない梯子を上って室内に入ります。設置方法は前後2本づつの4本の丸太を柱として、それぞれの柱の上からワイヤーで約3.5mの高さに釣りあげられています。前後の2本の柱には、強度を上げるために上部に3個所ほど桟が取り付けられています。「空飛ぶ泥舟」は、建築物を浮かばせたいという設計者の希望と、人が入れば揺れる部屋で、お茶を楽しむ人全員が腰を下ろし、「空飛ぶ泥舟」の揺れが収まってから静かにお茶を嗜むという、茶道の心得を踏まえた建物です。

「空飛ぶ泥舟」のまとめ

 

藤森照信は「空飛ぶ泥舟」の他にも、いくつかの奇想天外に思える茶室を作っています。「空飛ぶ泥舟」の近くには「高過庵(たかすぎあん)」と「低過庵(ひくすぎあん)」と言う名の2つの茶室があります。どれも風変りな見た目ですが、茶道の本質を踏まえたたてものであり、名前の付け方には言葉遊びのような印象があります。そのままふよふよと飛んでいきそうな「空飛ぶ泥舟」は、長年、建築史を研究してきた結果の最新の技術を取り入れながら、伝統を大事にしている建築物ではないでしょうか。

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