ポルト大学建築学部(Faculty of Architecture, University of Porto)

「ポルト大学建築学部」のご紹介

 

 

 

 

 

 

 

 

母校であり、且つ建築を学ぶための校舎をデザイン、設計する事は、いくらその国の第一人者といえども難しい依頼ではないでしょうか。
しかし、校舎が無ければ落ち着いて講義を受けることはできないでしょう。
「ポルト大学建築学部」は、とてもシンプルな建物です。

「ポルト大学建築学部」の設計者

ポルトガルの建築界を代表すると言われるアルヴァロ・シザ(正式名 アルヴァロ・ホアキン・デ・メロ・シザ・ビエイラ)は、1933年ポルトガル第二の都市ポルト近郊のマトシンホスと言う町で生まれました。現在のポルト大学の前身である美術学校で建築を学び、卒業後に当時のポルトガル近代建築界を先導する建築家の事務所に席を置きました。数年後に自らの事務所を開設し、本格的に建築家としての活動を始めました。彼の作品は、直線的なものが多く、建築材料も種類を抑え、色も白い色を好んで使っています。

ヨーロッパを中心に活躍していますが、建築場所の土地柄や自然に合わせた建物を作ることを心掛けているようです。低価格の集合住宅から公共の施設、教会など彼の活躍の場は多岐にわたっています。また、母国のポルトガルだけでなく、ヨーロッパの各国やアメリカの大学などで後進を育てるために教鞭をとっています。長年の彼の功績が認められ、ポルトガルでは学術発展に寄与した人に与えられる最高の勲章や、教育に尽力した人に授与される勲章などの栄誉を手にしています。さらに、世界的にも権威のある建築家に授けられる様々な賞も受賞しています。

「ポルト大学建築学部」の所在地

ポルトガル共和国の北部にある大西洋に面したポルトガル第二の都市がポルトです。スペインに端を発するドウロ川が大西洋に流入する場所で、川の北側に街が広がっています。歴史の古い都市で、紀元前から港町として栄えてきました。15世紀に、この国の王子がアフリカの北端に位置する街を征服したことから、大航海時代が本格的に動き始めました。多くの船が作られ、船団を組んでポルトの港から世界に向けて出港していきました。また、貿易も盛んで、18から19世紀にかけて特産のポルトガルワインが多く輸出され、イギリスでは「ポート・ワイン」と呼ばれ有名になり、現在でもたくさんの人に愛飲されています。旧市街地には、美しい教会や荘厳な礼拝堂、古い街並みなど中世の面影を残す建造物が多く残され、「ポルト歴史地区」として世界遺産に登録されています。また、同じく古い港町である日本の長崎市と姉妹都市の協定を結んでいます。

「ポルト大学建築学部」の特徴

「ポルト大学建築学部」の校舎群は、とてもシンプルで小ぶりな白い建物です。コンクリート製で窓などの開口部が少ないのですが、建物の南側から見ると、どれも顔のように見えます。昔のドット数の少ないPCで書かれた画像の顔の様です。あるいは、レトロロボットの顔とでも言えましょうか。ドウロ川に面した白い四角な建物が4棟ありますが、それぞれは小さい校舎で、小高い場所にあるので川を見下ろすような作りになっています。これらの校舎の北側には、講堂やホール、図書館が作られています。さらに、その北側には高速道路が通っている為、これらの建築物が騒音を遮る役割も果たすように作られています。敷地が変則的な三角地で、高低差もあることを利用して遠近感をうまく利用した建物もあり、すべてが未完成のようでもあります。白いコンクリート製の建物なので無機質な感じがしますが、床や階段などに大理石が使用され、外壁の基礎部分などに花崗岩が多く使われているので、天然石の持つ柔らかさが冷たいイメージを打ち消しています。また、小さく不規則な窓は、強い日差しを遮る事と、自然光を取り入れるための二通りの役目があります。

 

 

 

 

「ポルト大学建築学部」のまとめ

校舎が白く簡素な建物で、未完成に見えると言うことは、学生たちが想像力を働かせるのにとても良い環境と言えるでしょう。設計者が建築に関するノウハウを学び、一度はそこから飛び立ち、母校へ帰って後進を指導する為に教鞭をとり、校舎まで作った。このように一つの学校と深く関わり続けることは、稀な事でしょう。国の第一人者が設計した校舎で、その人物に教えを受けることができるのは、未来の建築家にとって素晴らしい事ではないでしょうか。

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