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「ダンシング・ハウス」のご紹介
古来より人々は、居住空間を居心地良くするために試行錯誤を経て様々な建築物を作ってきました。そして、その建物の使用用途によって、内外に様々な装飾も施してきました。現在では、建物そのものが街の装飾になるような建築物もあります。「ダンシング・ハウス」は歴史ある町並みに現代を表している建物です。
「ダンシング・ハウス」の設計者
フランク・オーウェン・ゲーリー(Frank Owen Gehry)
世界的に有名な建築家は数多くいますが、「ダンシング・ハウス」の設計者であるフランク・オーウェン・ゲーリーは天才とも鬼才とも呼ばれる人物です。カナダのトロントに生を受け、幼少のころは祖母と木切れを使って箱庭の様な街を作ることが大好きな遊びだったようです。
正に「三つ子の魂百まで」とは、このようなことを指すのではないでしょうか。小さい頃に楽しかったことを、大人になって現実にするのは才能と努力が必要なのは当然ですが、情熱を保つことも大きな要因になるでしょう。現在も、思いのままの建築物を世界中に建てています。
「ダンシング・ハウス」の設計に携わった建築家がもう1人います。この建物が建っている街に住むヴラド・ミルニッチ(または、ウラジミール・ミルニッチと紹介されていることもあります)です。彼は、1941年に当時のユーゴスラビアに生まれ、15歳の時にチェコに移り住みました。「ダンシング・ハウス」の隣の土地は、チェコの劇作家で初代の大統領の実家があった場所で、そこに下宿していたことから「ダンシング・ハウス」の設計に参加することになりました。世界的に活躍する建築家ではありませんが、プラハをはじめ、チェコ国内には彼の手掛けた建築物が数多く存在しています。
「ダンシング・ハウス」の所在地
中央ヨーロッパのチェコ共和国の首都であるプラハに「ダンシング・ハウス」は建っています。中世ヨーロッパの佇まいが色濃く残るこの都市は、千年以上の歴史を持っています。その間には様々な争いや、自然災害、近代の高度成長の波も押し寄せてきました。しかし、そのような変化にほとんど影響を受けずに独自の発展を遂げてきました。このような経緯から各年代の建築物も多く残されています。さながら街中がヨーロッパの建築物の博物館のようになっていて、街そのものがユネスコの世界遺産にも登録されています。
「ダンシング・ハウス」の特徴
正式名称を「ナショナル・ネーデルランデン・ビル」と言い、1996年に建てられました。市内を流れるヴルタヴァリ川(モルダウ)のそばに建っていて、赤茶色の屋根の建物が多く残る町並みにひと際異彩を放つ近未来的なビルです。
思いのままに曲線を使い、ガラス張りの女性的な形を表している建物と、それに寄り添うような形の円筒形の建物とが一体となっています。「ダンシング・ハウス」と言う通称がぴったりな、二人でダンスを踊っている一コマを表しているような外見をしています。20世紀中ごろに活躍した、ハリウッドのミュージカル映画のスターダンサーに因んで「ジンジャー&フレッド」と言う愛称もあります。ジンジャーを表している建物は遠くからでも目を引く、柔らかいシルエットが特徴的で、フレッドのツンツンした見た目の頭の部分を見ると、ロボットの様にも見えます。
本当にこのまま、くるくると踊りながら通りの向こうに行ってしまいそうな躍動感を持つ建物です。当初はオフィスビルでしたが、現在はホテルになっていて、不規則な多角形の部屋や、斜めの窓など、外見に劣らず奇抜な部屋がたくさんあり、非日常的な時間を過ごすことができる部屋になっています。レストランやカフェは宿泊客以外でも利用できるので、風変わりなビルを誰でも内側からも楽しむことができます。また、1階は美術館になっています。
「ダンシング・ハウス」のまとめ
第二次大戦での惨禍を逃れた建物が多く残り、中世の歴史を感じることができるプラハの街に「ダンシング・ハウス」が建てられた時には、多くの批判もあったようです。しかし、フレッドを表している方のビルの屋上からはプラハの街を一望することが出来、現在では観光名所の一つにもなっていて、街の人々が自慢できる建物になっています。
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