アンゴラ 通貨博物館(Currency Museum Angola)

「アンゴラ 通貨博物館」のご紹介

 

遥か昔に人類が知恵を獲得した頃から、自分が欲しい物を手に入れるために物と物を交換する事を行ってきました。また、必要な作業などに対しては、相手の欲しい物を対価として交換していました。その後、何にでも対価として使えるお金が(通貨)が発明され、現在に至っています。その歴史を紹介する博物館が、南アフリカの国の首都に作られています。「アンゴラ 通貨博物館」の建物そのものは見えませんが、鋳造されたばかりの貨幣と同等の輝きを持つ傘が入り口を示しています。

「アンゴラ 通貨博物館」の設計者

 

「アンゴラ 通貨博物館」の設計を担当したのは、アンゴラの首都に事務所を置く「コスタ・ロペス アーキテクツ」です。この建築事務所は、1967年にアンゴラ西部のロビトと言う街で生まれたアレクサンドル・フォルカオ・コスタ・ロペスが率いています。彼は、ポルトガルの首都、リスボンにある工科大学で建築を学んでいます。大学在学中にはすでにリスボンにある建築会社で働いていました。卒業してすぐの1994年に、リスボンで自身の建築事務所を開設しています。後にこの事務所には彼の弟が入社して、創設から5年後には共同で事務所を運営するようになりました。21世紀に入って間もなくの2003年に彼らは生まれ故郷のアンゴラに帰り、現在の建築事務所である「コスタ・ロペス アーキテクツ」を創設しました。この事務所は、人類発祥の地と言われるアフリカが持つ特徴と歴史を重要視したうえで、持続可能な解決策を模索しています。アフリカには、古くからの多くの民族や部族があり、それぞれに歴史や伝統があります。それは、様々な意味で文化の多様性を示していて、西洋社会には無い問題があります。また、アフリカの自然環境や地形など、生活するために解決しなければならない多くの問題がありました。数々の文化が息づく多様性を重視しながら、アフリカに特有の地理的条件を踏まえた上で、持続可能な建築物を生み出しています。

「アンゴラ 通貨博物館」の所在地

 

「アンゴラ 通貨博物館」は、アンゴラ共和国の首都であるルアンダの海岸沿いに建設されました。アンゴラはアフリカ大陸の南部に位置する国で、大西洋に面しています。国名は、数百年前にこの地で栄えていた国の国王の称号が由来となっています。この国は第二次世界大戦後もポルトガルの実質的な植民地でした。終戦から十数年が経ち、独立に向けての機運が高まってポルトガルの支配から脱却するための戦いが始まりました。10年以上の戦いの後の1975年に、独立を果たしてアンゴラ人民共和国となりました。現在の国名は、1992年に憲法が改正されてアンゴラ共和国が正式な国名になりました。公用語は現在もポルトガル語ですが、元々この地で暮らしていた複数の民族の言語も日常的に使われています。首都のルアンダは、国の北部の大西洋岸に広がる都市です。街の対岸には、ルアンダ島(カボ島)と呼ばれる全長7kmの細長い砂州があります。島と呼ばれていますが実際には陸地と繋がっています。この島と街の間が湾になっていることから、天然の良好な港が形成されています。南回帰線より北側になっていますが、大西洋の寒流の為、極度な高温にはなりません。乾燥した気候で、年間の降水量は日本の梅雨より少なくなっています。

 

「アンゴラ 通貨博物館」の特徴

 

2016年に完成した「アンゴラ 通貨博物館」の建物は地上にはありません。国立銀行のどっしりした建物と、近代的なオフィスビルの間にある広場の地下に博物館が作られています。地下に作られた理由は、都市に於ける空間の確保のためと、地下であることの利点を考慮した結果です。広場の中央に博物館への入り口がありますが、入り口だけで存在感のある施設と言えます。地下へ繋がる階段を含む4か所の開口部だけが地下にある施設を示しています。開口部の周りはガラスの柵が取り囲んでいて、この開口部から突き出ている大きな傘のような構造物が、この施設を印象付けています。開口部と同じ形状をした傘は、下から三角の柱で伸びてきて、開口部を覆うように広がっています。上の面は広場の石畳と同じ石板で覆われて平面になっています。下の面は柱に向かって斜めになっていて、柱と共にステンレスの板で覆われています。傘の下の地面にライン状になった照明が敷設されていて、夜間には照明の光が傘の下部に当たって光らせています。更に、傘に反射した光が新しい光となって広場の石畳を彩っています。博物館の壁は、海が近いことから水分の滲出を防ぐために、鉄筋を入れた特殊なコンクリートが使用されています。石材は石灰岩や花崗岩、大理石が使用されていて、木材と共に建設用資材は、全て国内産で賄われています。

「アンゴラ 通貨博物館」のまとめ

 

「アンゴラ 通貨博物館」の建設計画が持ち上がった時には、建設地にルアンダの北にある自治体の郊外に建設する案がありましたが、博物館の趣旨と国の歴史を考えて街の中心部が良いのではないかとの案もありました。しかし、都市の中心部に建設することには様々な懸念がありました。大規模な建物を並べることは都市の空間が狭くなってしまいます。また、収蔵物や館内の雰囲気も考えなくてはなりません。その全てを解決したのが、博物館を地下に作ることでした。「アンゴラ 通貨博物館」を訪れる人は、印象的な傘に導かれ、静かな空間で歴史を紐解く時間が過ごせるようになっています。

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