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「シティ・ホール (ロンドン) 」のご紹介
政治の仕組みはなかなか難しいのですが、一番に大事なことは住民の幸せを望める政治ではないでしょうか。
ロンドンの市政を司る場所は「シティ・ホール」と呼ばれ、内部に渦巻きを備えた卵の形をしています。
「シティ・ホール (ロンドン) 」の設計者
「シティ・ホール (ロンドン) 」を設計したノーマン・フォスターは、1935年にイングランドの北部、マンチェスターで生まれました。イギリスとアメリカの大学で建築を学んだ後に、若手建築家とグループを結成して活動を始めました。32歳の時に独立して、自分の事務所を構え、現在ではロンドンを中心に世界の20ヵ国にオフィスを持っています。最初はハイテクノロジーの建物を作ることで名を上げましたが、デザインの方向性が変わってきて「モダニズムのモーツァルト」と呼ばれるようになりました。最近では、消費エネルギーを抑えるような建築物を作るようになっています。多くの建造物を手掛けてきた彼の設計スタイルは、当該の建物をスケッチで表すところから始まっています。2017年に「ノーマン・フォスター財団」をスペインのマドリードに立ち上げ、建築界に携わる若者たちを支援するための活動を行っています。
「シティ・ホール (ロンドン) 」の所在地
4つの構成国で成り立っている、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(イギリス)の事実上の首都がロンドンです。ヨーロッパの大陸からドーバー海峡を隔てたグレートブリテン島の南東部に位置します。古くからの大都市で、中世にはすでに10万人以上の人口があったようです。この街は海に面してはいませんが、比較的大きい川であるテムズ川が街の中を流れています。「シティ・ホール (ロンドン) 」が建っている付近までは大型の船が航行出来ていたので、交易などに不都合はなかったようです。しかし、テムズ川が街を分断するように流れているので、橋を架ける時には大変な苦労がありました。有名なタワーブリッジがそのよい例で、大型船が通行できるように開閉することが可能な可動橋となりました。2012年のオリンピックの時には、高いマストを持つ大型帆船がこの橋の下を通り抜けています。19世紀の終わりに建造された当初は蒸気機関を使って開閉されていましたが、現在はコンピュータ制御の油圧式となっています。また、街の景観に配慮して、外観は国産の花崗岩とポーランドストーンと呼ばれる石灰岩で覆われています。建造から100年以上経ち、河川の交通量が減ってきているとは言ってもタワーブリッジは毎日船を通すために開いています。
「シティ・ホール (ロンドン) 」の特徴
2002年に開庁した「シティ・ホール (ロンドン) 」の形は、スライスしたゆで卵を少しずつ斜めに重ねた形に見えます。市民の中には、ダースベイダーのヘルメットとか、ダンゴムシ、オートバイのヘルメットなどと親しみを込めて形容する人もいるようです。全面ガラス張りの庁舎は、ここで行われる市政の透明性を表しています。建物内部には巻貝のような螺旋階段や通路があり、これも少しずつ斜めになっています。10階建ての庁舎はこの斜路によってスムースな移動が可能となっています。このような形になった理由の一つは、同じ床面積の四角いビルより25%も表面積が少なくなることにより、空調などの光熱費を抑制することを可能にしました。もう一つの理由は、南側に傾けた形にしたことで直射日光が入りにくい構造になっています。ガラス張りになっているので自然光は良く入り日中の屋内はとても明るくなっていますが、特に夏季の直射日光が当たらないことによって屋内の冷房の為のエネルギー消費を抑えることが可能となっています。しかし、冬季は太陽の高度も低くなるので、南側に当たる太陽熱によって屋内の暖房も控え目なエネルギーで賄えるようになっています。
「シティ・ホール (ロンドン) 」のまとめ
テムズ川の畔に建つ「シティ・ホール (ロンドン) 」からは、すぐ近くにあるロンドンを代表する建造物のタワーブリッジを望むこともできます。開庁時間であれば、誰でも中に入ることができ、最上階の展望室ではロンドンの街の素晴らしい眺めが望めます。庁舎と言えばちょっと硬いイメージがありますが、「シティ・ホール (ロンドン) 」は市民に憩いの場を提供できる上に、観光名所の一つにもなっています。2012年のオリンピックの時に、当時のロンドン市長が「シティ・ホール (ロンドン) 」を「ロンドン・ハウス」と呼んだことから、この呼称も使われているようです。
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