「マラパルテ邸」のご紹介
まるで映画の舞台になりそうな家があります。青い海を背景にした、岬の突端に建つ印象的な赤い家です。建てられた年代を考えると、時代を先取りした、そして時代を作った建物と言えるでしょう。地中海の島に建つ「マラパルテ邸」をご紹介します。
「マラパルテ邸」の設計者
イタリアの近代建築の一様式を代表する建築家、アダルベルト・リベラが「マラパルテ邸」の設計をしたとされています。彼は1903年にイタリア北部のトレント近郊の町で生を受けました。20代の頃に美術と建築を学び、大学の在学中にイタリアの未来派と呼ばれる前衛芸術の運動家達と親交を持っていました。卒業前には「イタリア合理主義建築運動(MIAR)」の設立メンバーとなり、書記を務めていました。そのような経緯があったことから、ドイツの高名な建築家のルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエとも親交がありました。
MIARが解散した後も政治的に当時の高官との繋がりがあったので、世界大戦中も複雑なヨーロッパの政局の中で、建築家として活躍していました。鉄やコンクリート、ガラスを使って建築するモダニズム建築の代表としての名声を勝ち取りましたが、後に古典的な建築物との融合も果たしています。戦後も公共の建物や、集合住宅等を手掛けましたが、五十九歳の若さでこの世を去りました。彼の残した数々の作品は、今でも古さを感じさせないデザインの建物となっています。
「マラパルテ邸」の所在地
イタリア共和国の南部、ナポリ市の沖合に浮かぶカプリ島に「マラパルテ邸」は建っています。地中海の一部、ティレニア海に位置していて、島の周りは断崖が多いことで有名です。断崖には海の波による浸食を受けた洞窟がたくさんあり、世界的に名高い「青の洞窟」があります。潮の引いた時に小舟でしか入る事ができませんが、洞窟の中はかなり広く、小さな入口から射す日光が海水に屈折されて、とても美しい青い色に染まります。地中海は広大ですが、陸地に囲まれた内海なので、塩分が多く生物相は大西洋などに比べると少なくなっています。その為、海水は不純物が少なくとても澄んでいます。このような要因から、洞窟に差し込む光の反射が綺麗に見えるようです。その他にも、珊瑚や白などの名前が付いた大小の観光できる洞窟が散在しています。特産物はレモンが多く栽培され、別名「レモン島」とも呼ばれています。山の斜面は一面レモン畑で、リモンチェッロと言う強いお酒やレモンジュース、レモンを使ったお菓子や、料理も作られています。
「マラパルテ邸」の特徴
イタリアの作家でありジャーナリストでもあった、クルツィオ・マラパルテの別荘として1937年に建てられました。カプリ島の岬を一つ買い取り、そこの一番端に建てた赤茶色をしたレンガ色の家です。上から見ると、一部の屋根を兼ねた屋上に続く幅の広い階段が目立ちます。屋上は日光浴を楽しむための場所だったようで、白い曲線の美しい壁があり、風除けと崖上からの目隠し等の為に作られました。海面から三十数メートルの高さにある建物で、居ながらにして地中海のパノラマを眺めることができたでしょう。私邸でしたので、当然の事として屋内の写真等はほとんどありませんが、マラパルテが亡くなった六年後にここで映画が撮影されました。その映画では、「マラパルテ邸」の外観はもとより、屋内の様子も多く紹介されています。マラパルテは、この家を自分自身の人生を映し出したものとして、自身の文章に似せて「私のような家」と呼んでいたようです。屋内も各所にこだわりを見せた場所があり、例えば額縁に見立てた窓からは、地中海の素晴らしい風景が絵画のような形で見えるようになっています。マラパルテの死後は放置されていましたが、1973年にイタリアの科学者が設立した財団に寄贈されました。その後二十世紀後半に改装されて、今は私有地となっているので普段は外観を見るくらいしかできません。
「マラパルテ邸」のまとめ
この建物については色々な解釈が飛び交っています。設計は、アダルベルト・リベラが書いたものと、実際の建物が違う事から、クルツィオ・マラパルテがかなりの部分を手直ししたのではないかと言う説もあります。映画の舞台にもなった「マラパルテ邸」は、周りの風景と一体化して絵の様な雰囲気があるので、ストーリーにぴったりの場所だったのではないでしょうか。諸説ある「マラパルテ邸」は、今も崖の上の赤い家として静かな佇まいを保っています。
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