「ドレスデン軍事博物館」のご紹介
中世に建てられた建築物を修理するのではなく改築する事は、いろいろな意味において大変なことです。
まず、昔と現在では建築資材が違います。
また、見た目を重視する場合には、外観のデザイン性にも注意が必要です。
「ドレスデン軍事博物館」は過去と未来が見事に融合した建物になりました。
「ドレスデン軍事博物館」の設計者
1946年ポーランドで生まれたダニエル・リベスキンドは、ユダヤ系の両親を持つアメリカ人です。小さい頃に習ったアコーディオンの演奏で素晴らしい才能を見せ、国民的アイドルとなりました。この才能のおかげでアメリカの文化基金の目に留まり、ポーランドからの最後の移民船でアメリカに渡りました。奨学金を支給されて音楽を学びましたが、20代の頃には建築に興味を持ち、アメリカやヨーロッパで建築に関する様々な高度教育を受けました。
その後、アメリカの学校で教鞭をとりながら、自らの建築に対する思想や理論を構築していきました。建築に関する論評や理論を発表するような活動は行っていましたが、実際に作られた建物の設計をすることはありませんでした。しかし、20世紀後半にドイツの博物館を設計してからは主に博物館や美術館を手掛けるようになりました。彼は「建築は物語だ」と言って、古くからの建築に対する常識を破り、自分のアイディアを形にするような建築物を生み出しています。誰も見たことが無い建物を作ることを目標としている建築家です。
「ドレスデン軍事博物館」の所在地
ドイツ連邦共和国の東部中央に位置するドレスデンは、エルベ川を中心に中世から都市として発展してきました。チェコ共和国との国境が近く、陶器の街として有名なマイセンにも近い場所です。ドレスデンと言う地名の語源は、古くからこの地方に住む少数民族のソルブ人の言語で、「森の住人」または、「森の人々」を表しています。このような由来がある事が要因ではないと思われますが、人口が50万人を超す大都市にも関わらず、多くの緑地が街の中に存在しています。
古くから発展してきた街なので、堂々たる王宮や荘厳な教会なども建っていました。しかし、第二次世界大戦の時に徹底した爆撃にあい、市内は瓦礫に覆われてしまいました。東西ドイツが統一した後に世界中からの寄付で、宮殿や聖母教会などが再建されました。宮殿は高級ホテルに生まれ変わり、内外の観光客を迎えています。聖母教会は元々の部分を瓦礫の中から拾い集め、コンピュータを駆使してできる限り原型を復活させました。この偉業は「ヨーロッパ最大のジグソーパズル」と評されています。
「ドレスデン軍事博物館」の特徴
2011年に改築された「ドレスデン軍事博物館」を上から見ると、中世の建物に楔を打ち込んだような形になっています。正面からは、石造りの建築物から鋭い鋼の三角錐が突き出しているように見えます。また、見る角度によっては、地中から何かが出てくるような印象も与えています。元々は大規模な兵器庫として19世紀に作られた建物でしたが、近くに新たな兵器庫が作られた後に美術館として使用されていました。その後再び軍用の施設になり、第二次大戦後には博物館などに使われていました。改築が終わり、新たな姿を現した時には数奇な運命をたどってきた建物に楔が打ち込まれていました。
19世紀に建てられた元の兵器庫にほとんど手を加えることなく、覆いかぶさるように新しい部分が取り付けられた形になっています。元の建物は石材を使って建造されていますが、新しい部分はスチールとガラスで作られていて、古くからある素材と近年多く使われている素材が融合した形を作り出しています。楔の部分は鋼の網目のようなイメージがあって、特に夜間の内部照明によって透けるような雰囲気を出しています。この楔の先端は、ドレスデンの街を瓦礫に変えた最初の空爆の中心地を指すように設計されています。
「ドレスデン軍事博物館」のまとめ
軍事博物館とありますが、正確には歴史博物館となり、ドイツの歴史博物館の中でもトップクラスの博物館です。兵器などの展示もしていますが、それに付随する歴史を重点的に紹介していて、展示されている兵器などが、なぜ作られたのか問いかけるような形も取られています。以前とは、展示の趣旨がガラリと変わり、過去を学んで未来につなげるために楔が打ち込まれていると言う意図がこの博物館にはあるようです。
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