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「ベネズエラ中央大学のアウラ・マグナ」のご紹介
最高学府と言われる大学は高度知識を習得できる場所であり、様々な研究も行っています。学校の規模も大小ありますが、国の中心的な大学はそのキャンパスが1つの街に等しい広さがあり、多数の人々が関っています。南米の国に建設された中央の大学のキャンパスは、様々な施設を備える大学都市と呼ばれています。その中で最大の建物が「アウラ・マグナ」です。「アウラ・マグナ」とはスペイン語で「大ホール」を表す言葉です。
「ベネズエラ中央大学のアウラ・マグナ」の設計者
「アウラ・マグナ」を始めとする、ベネズエラ中央大学のキャンパスであるカラカス大学都市の設計を中心的に担っていたのは、ベネズエラとイギリスの2つの国籍を持つ建築家のカルロス・ラウル・ビジャヌエバ(カルロス・ラウル・ビジャヌエバ・アストゥール)です。父親が土木技師であり、外交官であったことから、彼が生まれた時、両親はイギリスに住んでいました。彼は、ロンドンにあるベネズエラの領事館で1900年に生まれ、7歳の時に母親の故郷であるフランスに移住しました。パリで中等教育までを受けた後に国立の高等美術学校に進み建築を学びました。学校を卒業して初めて父親の故郷であるベネズエラを訪れた彼は、暫くの間首都の近郊で暮らしていました。その後、アメリカへ渡った彼は、兄が勤める建築事務所で建築家として更に実践を兼ねた教育を受けながら働いていました。30歳になる前にベネズエラに定住を決めた彼は、父親の職業の縁で国の機関で建築家として働き始めました。30代の半ばの一時期に都市計画の研究を続けるために一時期フランスに滞在していました。再びベネズエラに戻った彼は、当時の国の首長から中央大学の建設を依頼され、およそ20年の間、その大規模な計画に携わっていました。ベネズエラの建築界を代表する建築家であった彼は、1975年に75歳で世を去っています。
「ベネズエラ中央大学のアウラ・マグナ」の所在地
「アウラ・マグナ」は、ベネズエラ・ボリバル共和国の首都カラカスの中心部、リベルタドール市の更に中心に位置するカラカス大学都市に建っています。ベネズエラは南米大陸の北部、カリブ海に面している国です。南米大陸に位置する国ですが、国土は全て赤道より北にあるため、北半球の国となっています。カリブ海に面した海岸沿いからアンデス山脈の1部、南米大陸で3番目に長い川に沿った平野部など変化に富んだ地形があり、特筆する場所がいくつかあります。例えば、地球上で最も落差の大きな滝があり、1,000m弱の高さから水が流れ落ちています。また、雷の発生が非常に多い湖があり、ほぼ毎晩、数時間にわたって稲妻が走っています。国の自治体は23の州と首都区のカラカスで構成されていて、その中に複数の小さな自治体があります。首都区には唯一、リベルタドール市のみが自治体として存在しています。リベルタドール市はカラカス首都区の中で最大の面積があり、人口も多く、国の機関の大半が置かれていることもあって、実際にはこの街が首都と言えます。都市ではありますが、2つの国立公園があり、複数の緑地帯もあって自然が豊かな街となっています。北側にある国立公園は標高3,000m弱の山岳地帯を含み、空気を清浄に保つ役割を持つことから「緑の肺」と呼ばれています。南西に位置する公園は複数の河川が含まれていて、街の水資源を保つ役割も持っています。
「ベネズエラ中央大学のアウラ・マグナ」の特徴
カラカス大学都市は外苑を含んだ皇居の2倍ほどの広さがあります。40棟以上の建物の中には病院や植物園などの大型の施設建物があります。スポーツ施設としてはサッカー専用のスタジアムの他に、多目的スタジアムなど複数の施設が作られています。その中で最大の建物が「アウラ・マグナ」です。1954年に完成したこの建物は、円形の四分の一を基本とした形をしていて、屋根はホタテ貝の殻のような見た目をしています。約2,700人が収容できるホールの最大の特徴は、音響効果の良さと、その為の設備が視覚的にも優れていたことです。1980年代に、世界でも5本の指に入るほどの音響設備が整えられたホールと認められているこのホールには、「フローティング クラウド(浮雲)」と呼ばれる不規則な形のパネルが天井から吊り下げられています。海岸に打ち寄せられているビーチグラスのような形の浮雲は、厚さが約1.5cmの鋼の枠に木製の板を2枚重ねにして作られています。合計で31枚あるパネルは、天井から22枚が吊り下げられ、左右の壁に4枚と、5枚がそれぞれ取り付けられています。天井は二重の構造になっていて、照明や浮雲のメンテナンスが容易に出来るようになっています。また、浮雲が客席に影を落とさないように照明の位置も工夫されています。
「ベネズエラ中央大学のアウラ・マグナ」のまとめ
カラカス大学都市は、設計者のカルロス・ラウル・ビジャヌエバがおよそ20年の間関わっていた大規模で長期的な計画でした。建設に関しては建築会社だけでなく、多くの芸術家も関わっています。設計者の専門ではない所は、様々な専門家の意見を取り入れて、その都度、設計やデザインの変更が行われていました。何度も設計図を書き換えた結果は、完成から半世紀がたった現在でも大学の主要な建物として学生達の大事な場面を支えていることに繋がっているのではないでしょうか。ベネズエラ中央大学の大学都市は、後世に残す価値のある場所として、2000年にユネスコの世界遺産に登録されました。
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