アトミウム(Atomium)

「アトミウム」のご紹介

 

世界中の様々な品物や最新の技術を展示披露するために開催される万国博覧会は、1851年にイギリスのロンドンで初めて開催されました。初期はあまり大きな規模ではありませんでしたが、次第に参加国も増えて趣を凝らしたパビリオンと呼ばれる仮の展示場が建設されるようになりました。そして、開催国の心意気を象徴するような建造物も作られました。フランスの有名なパリのエッフェル塔や、日本の大阪万国博覧会の時の太陽の塔などがあり、それらの建造物は記念として修復を行いながら開催地に残されている物が多く存在します。西ヨーロッパの国にある万国博覧会の記念に残された建造物は、訪れる人に大きな印象を残しています。建設から半世紀以上たっても街のランドマークとなっているのが「アトミウム」です。

「アトミウム」の設計者

 

「アトミウム」を手掛けたのはベルギーの建築家、ミシェル・ポラックの息子たちです。兄のアンドレは1914年に、弟のジャンは1920年、共にスイスのレマン湖の近くにあるモントルーと言う町で生まれました。アンドレはフランスの美術学校で建築を学び、パリの大学で都市計画を研究しました。ジャンはベルギーの学校で建築を学びました。彼らは、学業を終えた後に父親が運営する建築事務所「レ・アーキテクト・ポラック」で働くようになり、第二次世界大戦の終戦の年に事務所の経営を引き継ぎました。彼らは第二次大戦で疲弊した故郷の国で貢献し、復興の証ともなったブリュッセルの万国博覧会で建設した「アトミウム」で世界的に有名になりました。彼らの事務所が作り出す建物はダンな建築物が多く、特にブリュッセルの公共の施設やオフィスビルなど、規模の大きな建物を手掛けていて、ベルギー国内の工場なども設計しています。兄のアンドレは1988年に74歳で、弟のジャンは2012年に91歳でこの世を去っていますが、「レ・アーキテクト・ポラック」は兄の息子が引き継ぎ、更にその息子がこの事務所を引き継いで、4世代に亘って続いています。

「アトミウム」の所在地

 

「アトミウム」は、西ヨーロッパの国、ベルギー王国の首都であるブリュッセル市の北部にあるラーケン地区のヘイゼル高原に建っています。「アトミウム」の建設は1958年の万国博覧会でしたが、この地で開催された博覧会はもう一つあります。1935年に30カ国が参加して、来場者は二千万人にも登りました。その博覧会のためにこの地域は公園として整備され、現在もいくつかの都市公園があり、市民の憩いの場を提供していて様々なイベントでも利用されています。また、「アトミウム」のすぐ隣にある1989年に開園したミニ・ヨーロッパは、ヨーロッパ各国の有名な建造物が精巧な作りで展示されていて観光名所になっています。ベルギーは独立国家としてはまだ200年建っていませんが、古い歴史のある国で、首都を務めるブリュッセルも長い歴史があり、市庁舎は15世紀に建てられたゴシック様式の建物が長く使われています。この街は欧州の首都とも呼ばれていて、欧州委員会や欧州議会など欧州連合(EU)の複数の機関の本部が置かれています。他にも美食の街として有名な街で、料理を楽しむことが人生の楽しみと考えられています。ベルギー料理と共に食後に欠かせないとされるお菓子の中には世界でも有名な物があります。フライドポテトの発祥の地と言われ、ベルギーワッフルやチョコレートも名物となっています。特にチョコレートは、世界的にも有名ないくつかのお店がこの街に本店を置いています。

 

「アトミウム」の特徴

 

「アトミウム」は1958年に開催されたブリュッセル万国博覧会のメインの施設として建設されました。ベルギーの当時の技術の粋を集めて作られた、地上高103mで総重量が建設当時で2,400トンの建築物です。「アトミウム」は鉄の結晶構造と同じ形で、実際の大きさの1650億倍になります。立方体の8つの頂点と中心に位置する場所に、合計で9つの直径18mの巨大な球形を設置した形で、それぞれを繋ぐために鋼鉄製で直径が3m、長さが23mのパイプ状の通路が取り付けられています。球体が9つになったのは、当時のベルギーには州が9つあったことからこの数になったと言われています。建設当初はアルミニウム製の三角形をしたパネルで覆われていて、1つの球体につき720枚のパネルが使われていました。鉄の結晶構造を模した建造物でアルミニウムが使用されたのは、当時の新素材であり、鉄に比べて耐食性が高かったためです。球体を繋ぐパイプには、当時、世界最長の35mもあるエスカレーターが設置され、最頂部につながる中央のパイプには最速のエレベーターがありました。構造物全体は2本の柱で構成される3個所の柱で支えられていて、全て階段も取り付けられています。「アトミウム」は元々、博覧会の開催期間だけ設置される予定でしたが、国の内外で非常に人気が高く、ブリュッセルのランドマークにもなっていたので、博覧会終了後も解体されませんでした。しかし、建設から数十年が経ち劣化が見られるようにって、2004年から2年間かけて改修されました。改修によってアルミニウムで覆われていた球体は、鉄を素材に造られているステンレス鋼のパネルで覆われました。

「アトミウム」のまとめ

 

「アトミウム」とは、原子を表す「アトム」と最初に建設された時に使われた「アルミニウム」を合わせた造語です。ブリュッセルの象徴的な建造物である「アトミウム」ですが、最近まで著作権の問題で写真や映像で世に送り出すことはできませんでした。2016年にベルギーの国会で公共の場にある構造物の撮影を著作権の例外として認める「パノラマの自由」によって撮影と配布が可能になりました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。